雑炊の時代、平成を振り返る。


佐藤優、片山杜秀(2018)『平成史』小学館

片山 不況のなかで育った若者たちは騙されていたと気づいたんでしょうね。自由だ、自由だ、と言われて、実は捨てられているのだと。(本書 p.30)

佐藤 (中略)政治でもメディアでも情報は皇居を中心にして半径5キロ以内に集中している。『そこまで言って委員会』はそこから外れて独立している面白い存在です。(本書 p.176)

本書はタイトルで半藤一利『昭和史』を思い出させます。バブル崩壊で始まり、何度かの自然災害とテロとの戦いを経て憲政史上初の天皇生前退位で幕を閉じる(予定の)平成について語り尽くした対談です。内政、外交から東京タラレバ娘シン・ゴジラに至るまで、硬軟合わせた話題で対話が進んでいきます。

平成は何が起きるかわからない雑炊のような時代、あるいはポストモダン的なパッチワークの時代です。特に政治では世界的に独裁的な傾向が強くなりました。日本も例外ではありません。「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍政権は、文面通りに読めば「脱アメリカ」なのかと思いきやトランプ政権とは蜜月の関係にあります。小泉政権以降、こうしたその場の勢いでふわっと乗り切る傾向が強まりました。それは反知性主義の拡大であり、裏返していうと橋下大阪府知事やなんとかチルドレンと呼ばれる大した哲学のない、やりたいことのない政治家が増えたことにも繋がります。

二人がたびたび指摘しているのは、中間団体の消滅です。かつては労働組合などが力を持っていて、国家と個人を取り結ぶ中間団体に働きかけることで民意を選挙結果に反映させることができました。しかし公社の解体などを経て、いまや国政に影響を与える中間団体は創価学会だけになりました。そのため、マスコミや世間の空気で選挙結果が大きく左右されることになりました。そうした空気をくみとってか、手続きのかかる民主主義から劇場型政治へと変わっていきました。

二人は、平成は昭和の遺産を食いつぶし、豊かだったが幸せかどうかはわからない時代だったと結論づけます。食いつぶすことしかしなかった時代の、次の時代は何かを生み出さねば右肩下がりになります。困難な時代だからこそ、冷静に、時間をある程度かけて今後の練らねばいけません。個人レベルでは、そうした次代を見据えて生き抜く方法を考えないといけません。

本書で語られていないもう一つの大きなできごとは2度あった全日空機ハイジャック事件とネオ麦茶こと西鉄バスジャック事件でしょう。前者で警察にSAT(特殊急襲部隊)があること、後者ではバスの窓の幅にちょうど合うはしごが準備されたことから、バスジャックを想定した訓練を行っていることが明らかになりました。その後、通信傍受法などができて、日本の警察のテロ対策も着々と進みます。結果、中核派や日本赤軍の大物を検挙するに至りましたが、同時に息苦しい社会となっていきました。これもオウム真理教や911、イスラム国などとの文脈で語られていい事件だったと思います。



自由に死ねない江沢民


峯村健司(2015)『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』小学館

芹が歌った「四季の歌」は中国でも流行し、胡は日本語で歌えるほどの大ファンなのだそうだ。(本書 p.154)

(江沢民は)終始ご機嫌な様子で、「日本館は大変よろしい」と日本語でおっしゃっていました。(本書 p.161)

「全国から数十人の若くて健康な軍人の血液を集めて総入れ替えもしました。軍内には江氏の影響力が根強く、亡くなってもらっては困る幹部がそれだけいますから」(本書 p.193)

「周永康らの摘発の話を聞いた江沢民があわてて習に電話をかけて『刑事責任は重すぎるので、寛大な処分にしてあげてほしい』とお願いしたそうです。すると信じられないことに習は何も答えずに一方的に電話を切ったのだそうです」(本書 pp.284-285)

中国では人類最大の権力闘争が行われています。

8600万人の党員を誇る中国共産党は世界最大の官僚組織で、党官僚のトップになれれば国、党、軍のトップになることを意味します。政治家がトップを務める民主主義国家とは違いますね。

しかも、決定プロセスは一切が非公表、会議が行われたことすら公にされません。情報公開とチェックを根幹とする民主主義国家とは違いますね。

そうした秘密のベールに阻まれた中国政治を、ボーン・上田賞を受賞した記者が明らかにしていきます。ハーバード大学に留学していた習近平の一人娘に突撃取材したほか、中国政府高官の愛人たちが住むアメリカの「二号村」にも行くなど、米中を駆け巡って取材を重ねます。

中でも注目は習近平が国家主席に選ばれた経緯を明らかにした点です。熾烈な権力闘争の末、習近平は漁夫の利で国家主席の座を射止めました。能力、実績ともに李国強の方が勝っていたにもかかわらず。多くの業績を上げた李国強はその分、敵も多かったのです。一方、目立った業績はないものの、部下の話をよく聞く習近平には敵が少なかったことが一因とされました。

しかし、それも要素の一つです。江沢民、胡錦濤といった過去の国家主席たちを中心とする派閥争い、薄熙来を首謀者とする新中国(1949年の共産党政権成立以降)最大規模のクーデター計画など、さまざまな要因が絡んでいたことを、地道な取材で明らかにしていきます。現在、そして習近平一人が強大な権力を持つようになりました。著者は派閥争いも無くなり、また一人に全権が集中する現状が逆に危険なのでは、と警鐘を鳴らします。

一方で、私たちの知らない指導部の一面も明らかにされます。江沢民は日本語がかなり上手で歌も歌えること、胡錦濤は1984年10月に3000人の日本人青年を中国に招いた事業の責任者だったことなど、彼らは意外な形で日本とつながりがあったことは初めて知りました。

また、中国の汚職は桁違いで、後ろ盾を失うと困る人が大勢出ます。そのため、現在90歳を超えて定期的に危篤説の出る江沢民も(2017年も出ましたが人民日報にある軍高官の葬式への参加者として名前が出て公式には打ち消されました)、自由には死ねません。血液を全部入れ替える延命措置をされます。そうしないと、困る人が続出するようです。元最高指導者ですら自由のない様子に、中国の現状が垣間見えます。



孫正義に感じるいかがわしさの根源


佐野眞一(2012)『あんぽん 孫正義伝』小学館

外車が並ぶバラック小屋で「トラジ」を歌い、父親は息子に「お前は天才だ」と言い続ける。こんな環境で育った男は孫正義しかいない。(本書 p.112)

豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した佐賀県鳥栖市の朝鮮部落に生まれ、石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった。(本書 p.393)

孫正義の血と骨に迫った伝記である。

ソフトバンクの創始者で日本有数の大富豪でもある孫正義は1957年佐賀県鳥栖市の生まれ。鳥栖駅周辺にあった朝鮮部落に生まれている。雨が降ると水がたまり、豚の糞尿とまざる。その奥には密造酒。異臭を放つバラック小屋で生まれた。

教師になりたかったが韓国席だったために諦めて渡米し、以来、通名の安本を捨てて本名の孫を名乗った。帰国後、ソフトバンクを立ち上げて、数々の批判や紆余曲折がありながらも大富豪にのし上がった立志伝中の人物だ。

ここまでが世間に流布しているイメージだ。しかし同時に疑問を感じる。なぜそんな貧しい暮らしをしていた孫が米国の大学に行けたのか。どのように事業を始めたのか。そしてなぜ今も「塀の中」に落ちずに第一線で活躍できているのか。

孫正義成功の影には父親・三憲の影響がある。密造酒を売ってお金を稼ぎ、朝鮮部落を脱出した。その後、焼肉屋やパチンコ屋、金融業と事業を手がけ、パチンコ屋に至っては九州市のチェーンを作った。だからこそ米国の大学に行き、仕送りを受けて学業に専念できる経済的余裕があったのだ。そんな事業に成功した父、三憲の相談相手が正義だった。

何から何まで違うのだ。どん底の家に生まれ、金持ちの家で育ち、幼い頃から成功した事業化である父の相談を受けた。さらに親戚は「怖い人」もいれば嘘をつき、事業を潰そうとし、流血沙汰の喧嘩を起こすような人たちもいる。切った張ったの世界を間近で見てきた孫正義は、実業家としての英才教育を受けてきたと言える。

いっけん普通の人に見えながらも、平均的な日本人とは全く違う浮沈の激しい環境で生きてきた孫正義。我々が彼に感じるいかがわしさは、うちに秘めた親譲りのエネルギーを嗅ぎとるからではないだろうか。