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英MI6も一目置く- 金正男の密入国情報を事前に入手した公安調査庁

手嶋 日本の当局は、その男(筆者註:金正男)がシンガポールから日航機で成田に到着することを事前に知らされていたのです。この極秘情報は、警備・公安警察でも、外務省でもなく、公安調査庁が握っていた。

本書 p.30

佐藤 公安調査官は、「イスラム国」支配地域への渡航経験がある人物をマークしているうち、この古書店にA氏が頻繁に出入りしており、ここが何らかの形でコンタクト・ポイントになっていると考えたのでしょう。業界用語では「マル対」、観察対象の人物を根気よく追いかけていた成果だと思います。

本書 p.162

公安調査庁-情報コミュニティーの新たな地殻変動

本書ではこれまであまり顧みられてこなかった「最弱にして最小の情報機関」、公安調査庁に焦点を当てています。

公安調査庁は警察の5%の人員と予算しかあてられていません。その活動が注目されたのが2001年5月の「金正男密入国事件」でした。

職員数予算
公安調査庁1,660人150億円
警察300,000人2,600億円
公安調査庁と警察の規模比較

当時、北朝鮮のリーダーだった金正日総書記の長男、金正男氏がシンガポールから偽造パスポートを使って家族とともに成田空港に到着、日本への密入国を試みました。入国管理の段階で偽造パスポートであることが発覚し拘留され、4日後には田中真紀子 外務大臣(当時)らの判断と本人たちの希望により、中国に強制送還されました。強制送還時は全日空のジャンボ機の2階席を借り上げて金正男ファミリー専用スペースにし、マスコミに撮影されないよう細心の注意が払われました。

この事件は入国管理局の手柄ではありません。公安調査庁が金正男の密入国前にシンガポールを出国したとい情報を入手し、入管側に提供した結果でした。本来なら日本国内で「泳がせ」て出国時に取り調べればよかったものの、入管側の不手際もあり、入国時に拘束されました。

公安調査庁は一体どこから情報を入手したのでしょう? 手嶋龍一は本書で情報は出国地のシンガポールから情報がもたらされたと言っています。シンガポールの情報機関は麻薬や経済犯罪には強いけれど、金正男出国情報を把握することは難しく、また中華系が多いので日本に通報することもないはずです。当時シンガポールに拠点を置いていた情報機関はイスラエルのモサドと英国のMI6、マスコミが第一報を流した時に当時外務省にいた佐藤優にモサドの東京ステーション長から照会があったことから、モサドの可能性は薄い。となると残るは英国MI6です。MI6の目的も本書で推察されています。

このエピソードは公安調査庁が常日頃から良質な情報を入手し、海外の情報機関と交流していた実績を窺わせます。

本書ではそのほかにも自殺志願をしていた北大生が「イスラム国」に行ってテロリストになることを未然に防いだ例などが紹介されています。小規模でも過激派やオウム真理教の監視で培ったノウハウを生かし、大事な活動をしています。

手嶋、佐藤とも公安調査庁が出している『回顧と展望』を読めば、ビジネスパーソンに必要な国内外の情勢がわかると絶賛しています。

本書は公安調査庁をメインに扱った初めての本という触れ込みですが、調べてみたら以下のような書籍がすでに出版されていました。

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病、不景気-不条理な世の中を生きるには

佐藤優、香山リカ(2020)『不条理を生きるチカラ コロナ禍が気づかせた幻想の社会』ビジネス社

佐藤 多重人格者というのは日本にどれぐらいいるんですか?

香山 私はほぼ30年精神科医をやってきましたが、数人は診ましたね。疫学的な調査では、人口の1~2パーセントはいるともいわれています。97パーセントくらいまでは演技しているのかな、なんて私も思ったりしましたが、実際の症例に出会うまでは不思議な人間の一つのあり方なんだろうなとしか思えないんですよね、今は。

本書 p.191

佐藤 彼女(筆者註:小池百合子 東京都知事)が強力なイニシアチブを発揮して何かをすることはないと思う。でも、それが周囲には見えていない。
その意味では小池さんはポストモダン的なのです。

香山 長期的ビジョンがないことを「ポストモダン」と言われると、何か複雑な気持ちですけど。

佐藤 目的論がない。

本書 p.257

本書では作家の佐藤優と精神科医の香山リカが不条理について対談しています。二人とも1960年生の同い年です。佐藤優は80年代末から90年代初めにかけてのバブル期にモスクワに滞在し、旧ソ連崩壊の過程を目の当たりにしました。日本にいなかったため、当時のバブルやポストモダンの雰囲気は知りません。また、神学を学んでいたのでプレモダン(近代以前)の論理を学んできたバックグラウンドがあります。一方の香山リカは80年代後半から文化人の集まる場所に出入りし、雑誌に寄稿するなど、バブルやポストモダンに学生時代を送りました。

本書はあえて「ポストモダン」的な構成にされており、一言で要約するのが難しくなっています。プレモダンの佐藤、ポストモダンの香山、エリート教育に関心を寄せる佐藤、底上げに関心を寄せる香山、といった具合に二人のスタンスの違いを描きながら、今の不条理な世の中を生きるために、より良い世の中にするためにどうすればいいかを語ります。

80年代、日本を席巻したポストモダンは「いろいろな見方があるよね」という冷笑主義まで行きつくような相対主義を広めました。そこには本来、寛容の精神があったはずです。しかしポストモダン以来30年が経っても嫌韓、嫌中などのヘイトスピーチに代表されるように、必ずしも寛容な世の中が実現されていません。

不寛容なヘイトスピーチがYouTubeで再生回数を稼ぐなど、議論とは言えないような次元で語られた言葉が独り歩きしています。いまの長期政権も証拠に基づかない言葉を語りながら、政権を維持しています。

これが現代人の限界なのでしょうか?

一部には希望もあります。現状に不健全さを感じた一部のネットユーザーは、YouTubeにヘイトスピーチ動画の削除要請を出すなどしています。こうした社会の健全さを伸ばす方法があればいいのですが、組織だって支援するにはお金が必要です。教育はもちろん重要ですが、全体の底上げの教育を優先するか、国家の方針に影響を及ぼすエリート教育を優先するかで香山と佐藤の意見は違います。

不条理な世の中でも学び続けることは大事ですが、その学びを生かす方法については、まだ確固たる答えがないようです。