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オートポイエーシスの入門はこれで決まり

山下和也(2010)『オートポイエーシス論入門』ミネルヴァ書房

オートポイエーシス・システムとは自分の環境の一部を加工して、自分の構成素として産出するシステムに他ならない。(本書 p.33)

オートポイエーシスではシステムの状態が一定に保たれるとは限らず、不可逆な変化が起きることもありうる。たとえば、成長するオタマジャクシとカエルや、芋虫とさなぎと蝶の同一性を示すのがこの理論である。(本書 p.38)

一時期もてはやされたオートポイエーシスが分かりやすく解説されている。ルーマン、マトゥラーナ、河本の3氏の主張を整理し、それぞれの利点と欠点、論理的な齟齬を明らかにして、オートポイエーシスを確実に理解できるよう書かれている。

結局、オートポイエーシスとは何かというと

  • 環境を構成素に変える仕組み
  • 自分の状態を自律的に決める
  • 環境に影響されない(=閉じた領域にある)
  • 直接は観察できない
  • 止めたら再起動できない

といったもので、具体的には生物、意識システムおよび社会システムが想定されている。

 生物は引用にもある通り、オタマジャクシがカエルになっても、息をしてものを食べて個体を維持していることには変わりはない。その個体維持のシステムをオートポイエーシスという。社会も同様で、構成員が変わっても社会とは個々人の関わりとその集合だから、全体としては維持される。意識は生体内のシステムだから少し難しいが、光の束という環境からりんごや文字といった構成素を見出すのは、そこに認識システムがあるからだ。

 言語も同じくオートポイエーシスと言えて「言語とは意味コードに対する記号体系」(本書 p.231)と定義することで二項対立や言語の変化なども説明できる。一方、エンジンなどは一度止めても再起動できること、操縦されない限りは自分の状態を決められないことから、オートポイエーシスではなくアロポイエーシスと言われる。逆に言うと、生物が関わっているものこそがオートポイエーシスといえるのかもしれない。

 環境に対する見方がアフォーダンスとは逆になってて、アフォーダンスを見つける仕組みがオートポイエーシスなのだという。アフォーダンスもオートポイエーシスも、応用範囲がとても広くてつかみ所のない理論だ。実際に使うときはピンポイントに限るのが現実的なようだ。

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商人から幕臣になった26歳

鹿島茂(2013)『渋沢栄一 上 算盤篇』文藝春秋

埼玉の農民の小倅が、代官に面罵されたのがきっかけで討幕運動に加わり、いったんは、高崎城を襲って横浜の居留地を焼き討ちにしようと試みたが、ひょんなきっかけで一橋家に仕える身となり、そこで出世して、兵制改革から財政改革までを手掛け、次の時代の到来に備えようとしていた矢先、突然、主君が徳川十五代将軍として就任したため、自らも幕府の役人となってしまう。(本書 p.131)

渋沢栄一 上 算盤篇 (文春文庫)

江戸末期に生まれて明治から大正、昭和にかけて活躍した経済人、渋沢栄一の自伝だ。鹿島茂による連載をまとめたものなので一回ずつ読み切りにしてある上に、文章も読みやすい。渋沢の足跡を学ぶには最適の本だろう。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、東急電鉄など、渋沢栄一が設立に関わった会社は500以上にもなると言われている。なぜそれほどできたのか?

渋沢は当時において資本主義の本質を理解していた、稀有な存在だったからだ。だから幕府も明治政府も渋沢を重用した。逆に渋沢がいなかったら今の日本の経済界は全く違っていたはずだ。

もともと、茨城県の豪農の家に生まれた渋沢は、若い頃から才覚があり、藍葉の仕入れや藍玉の販売で成功を収めた。ただ、商売一辺倒ではなく、幼少時より父から読書も授けられていたため、知識人ともいえる経済人だった。

江戸末期、尊王攘夷活動に失敗し、江戸遊学で知り合った一橋家に仕える。歴史の偶然から一橋慶喜が将軍になったため、渋沢もまた幕臣となる。当時、商人から武士への身分変更は全くできないわけではなかった。しかし誰もができたわけではない。渋沢は大出世した。

いよいよ開国も間近、パリ万国博覧会が開かれた。日本も招待されたため、幕府からは慶喜の弟である民部公子が留学も兼ねて行くことになった。民部公子の世話をしていた水戸藩の家来も何人か行くことになったが、旧来より保守的な土地、固陋な連中しかいないことを心配した将軍、慶喜の命で渋沢もパリ行きを命ぜられる。

パリで渋沢が見たのは、官と民が平等に交流している姿だった。当時の日本では渋沢家の当主であっても若い代官に偉そうにされ、商人は武士に頭を下げるのが常であった。官と民との関係はこうではならない。渋沢はパリでその思いを強くした。また、パリ万国博覧会でのサン=シモン主義(「パリ万博の壮観を再体験」を参照)にも感銘を受けた。産業発展は民衆への啓蒙も兼ねている。そうして利益を得るのみならず、産業を通して社会全体を良くしていかねばならないと開眼したのだった。

それがのちの日本での活躍につながる。

本書は渋沢の大活躍をあまり述べてはいない。むしろ大活躍の素地が形作られた背景を明らかにしている。渋沢の思想のバックグラウンドを知って、後編に続く。

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年間11日、55時間しか働かないヒキガエル

奥野良之助(2006)『金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる』平凡社

ストーブを囲んで雑談していた時、「先生、ヒキガエルを掘りにいきませんか」と言い出した学生がいた。(中略)学生どもは、私の指示を待たず、といって指示を待たれたら私のほうが困ったところだったが、本丸中に散会して雪を掘り始め、つぎつぎと越冬中のヒキガエルを掘り当てていった。私は、学生に呼ばれるままに走り回り、掘り出されたヒキガエルの計測や個体番号の確認に追われただけであった。このまま放っておくと学生どもは本丸十を掘り返してしまうにちがいない。適当なところで私は、教官の権限を発動して、発掘の中止を宣言した。(本書 p.82)

金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる (平凡社ライブラリー (564))

ヒキガエルの生態に迫った名著である。本書の主張は著者の9年間、399回にものぼる調査に裏打ちされている。

人は生物を見ると厳しい生存競争の中、強者だけが生き延びると考えがちだ。ヒキガエルを見ているとその発想は根底から覆される。

およそ10年ほど生きる彼らは両生類だから冬眠する。暖かくなったら土から出てご飯を食べ、子孫を残す。そして夏になると暑さを避けるように冬眠ならぬ夏眠に入る。秋に少し起きて、また寒くなると冬眠するのだ。冬眠の仕方も雑で、溝の石の隙間にちゃんと入ればいいものを、奥まで入らず適当に入ったところで冬眠してしまう。なんて力の抜けた生き物だろう。

当初、魚を専門にしていた著者は保険(論文を書く)ために、勤務先の金沢大学が当時位置していた金沢城でヒキガエルを調査し始めた。すると次第にヒキガエルの姿に心惹かれる。だが虫嫌いだから決して解剖はしない。前足に4本、後ろ足に5本ある指を解剖ばさみでパチンパチンと切って標識にし、都合1526匹の行動を調べた。そして分かった。彼らは年間11日、55時間しか働かない。これは繁殖も食事も含めた時間だ。

オスよりメスの方が少ないため、自らの子孫を残せる可能性は低い。にもかかわらず、毎日繁殖に参加するオスは極めて少ない。なんてゆるい生き物なんだ。そんな「ゆるさ」があるからこそ、著者が見つけた3本足のハンディキャップヒキガエルも繁殖に成功したから、悪いことではない。

面白い研究成果を出すには時間がかかる。昨今の短期的な成果を求める風潮ではこんな研究を再び望むことは難しいだろう。確かになにの役にも立たないし、特許などのお金に結びつくことはないかも知れない。だけど読んだ人を勇気づけ、何よりも競争社会が適用されない生物が身近にいて、そんな彼らも立派に生き延びていることを知るだけで、今あくせく働き生き急いでいる人の生き方を振り返らせてくれる。これぞ研究の真骨頂だ。