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レビュー

メディアが世界を変えていく

フリードリヒ キットラー著, 石光泰夫, 石光輝子(2006)『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房

拍節とリズムをともなった(近代ヨーロッパの言語では韻も含む)抒情詩の起源には、口承文化という条件の下での技術的な問題とその解決ということが横たわっていた。(中略)こうした必要性がすべて消滅したのは、技術を用いて音響を保存することができるようになってからである。(本書上巻 p.193)

映画は人生を痕跡保存(証拠保全)に変えてしまう。ゲーテ時代に、真実が詩(文学)によって教養になり下がったようなものだ。だがメディアは冷酷だから芸術のように美化してはくれない。(本書下巻 p.55)

『銃・鉄・病原菌』に先立つ、三名詞タイトルシリーズの嚆矢。メディア論と言えば本書、マクルーハンの後継者と言えば本書と紹介されるぐらい有名な本。ただ、長い。必要以上に長い。

中身については面白い部分もある。グラモフォン(蓄音器)を使うことで人間は生の音データをすべて記録できるようになった。これまでは文字を書くしかなかったのに、その必要が無くなった。その音を遠くに飛ばすため無線機が発明された。大体こういう発明は軍事技術と相場が決まっているもので、当初は暗号通信に使おうとした。だけど無線機は暗号通信に向かなくて、遠く離れたところに声を伝えられることはできても、みんなが傍受してしまう。これを逆手にとってラジオが広まった。

フィルムに関しても同じで、生の動きを切り取って、再現して見せるフィルムができたというのに、結局人々はグラモフォンの技術と合わせて何を作ったかというと、前時代に作られた文学作品を映画にすることだった。

タイプライターについても同様で、当初は盲人が手紙を書くために医師が発明したものが、違う使われ方をしていった。目の悪かったニーチェあたりがまず使い始め、タイピストという職業が生まれ、世界が爆発的に「書くこと」に目覚めた。この結果、DSP(デジタル・シグナル・プロセッシング)が開始され、コンピュータの開発へと至った。

いつの時代も、メディアは発明者の目的通りに使われない。人々が使いたい手法で、かつ最大限の効用をもって、その真価を発揮する。