古書で借金かかえても


鹿島茂(2003)『それでも古書を買いました』白水社

書評用の献本が一か月で最低百冊は送られてくるから、その沖積ぶりは尋常一様のものではない。ほかに、自分でも、月に十万円分くらいの新刊本を買う。研究用のフランス語の新本と古本は別予算だから、毎月、合計何冊ずつ増加してゆくのか見当もつかない。(本書 p.94)

もちろん、床という床には本がうずたかく積みあげられ、次男は数百万円もする一五〇年前のジャイアント・フォリオ判の古書の上でメンコをしていた。残された空間といったら、あとは天井しかない。私はときどき天井を見つめながら、なんとか限定的に無重力状態をつくりだして、天井に本を置く方法はないものかと夢想した。(本書 p.89)

かつて河盛好蔵氏から「研究者というものは買った本が一ページでも役にたったなら、それでよしとしなければなりませんよ。最初から最後まで全部役にたつような本だけを集めようなんて、そんなケチな根性では、研究者はつとまりません」というお話をうかがったことがあるが、まさにその通りだと思う。(本書 p.91-92)

洋古書収集家でも知られている鹿島茂のエッセイ集。なぜ自分が本を集めるのか、本の集め方の流儀やその収納方法、お金の捻出方法(といっても土地と家を抵当に入れて銀行から借りる!)などが軽いタッチで描かれている。

コンテナいっぱいの新聞記事をフランスから船便で送ってもらって、量のことを考えずにいたため、物理的にも経済的にも持ち運びに困った話や、置き場所に常に悩まされている話など、興味は尽きない。

ここまで根性を入れて本を集める気概があるというのは見習うべき点だ。しかもフランスの古書は装丁が皮であるためにその手入れも必要だという。好きでなければできない、その世界の奥の深さに峻拒した。