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言葉は相手の暮らしを知ってこそ分かる

青木晴夫(1998)『滅びゆくことばを追って -インディアン文化への挽歌』岩波書店

一度、リズおばさんの義弟に、キイチゴを取りに行こうと誘われたことがある。彼のジープに乗ったところが、そのあとが勇ましかった。(中略)七十いくつのおじいさんとは思えない猪突ぶりである。わたしは身体髪膚これを父母に受けたけれども、きょうのイチゴ取りが終わって帰り着くまでは、相当毀傷したようだ。(本書 p.131)

涼しい高原のティーピーで一週間を楽しく過ごした経験のあるわたしには、この暑い谷間に移住をしいられ、異文化のかたまりのような文化住宅で窒息しているおばあさんの姿がこの上なくみじめに見えた。(本書 p.199)

名著である。千野栄一が『ことばの樹海』(レビューはこちら)で絶賛していた消滅の危機に瀕する言語を記録する言語学者のエッセイだ。

文章からにじみ出てくるおもしろみは、著者の個性が出ている。冒頭に引用した箇所なんて孝経の「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」のパロディがさらりと出ている。

カリフォルニア大学の言語学教室で研究をしていたある日、主任教授から「ネズパース語を調査する気はないか」と持ちかけられたことから著者の話は始まる。車を借りて2泊3日、現地調査の始まりだ。まずはモーテルを決め、紹介してもらった人やたまたま知り合った人のおばさんなどをあたってインフォーマント(調査協力者)を決めていく。午前にインタビューを行い、午後はノートの整理。そうして少しずつ言語を記述していく。記述言語学の王道ともいえるべきやり方だ。カードゲーム用の机の上にはノートなど軽いものしか載せられないから、レコーダーは床に置いた、などと書いてあって隔世の感がある。著者の時代は電源式(コンセントにつなぐ!)テープレコーダーを使っていた。

著者のメインの仕事は言語の記述だが、本書の面白みはそれに附随する調査協力者との交流だ。一緒にタルマクスという一週間、遠い山に行って行うお祭り(だけど当時はもう宗教キャンプに成り果てていた)に参加してネズパースの人たちの暮らし方を体験したり、リズおばさんとキャマス(野草の根っこ)を取りに行ったり昔話を教えてもらったり。言語の調査はその言語を使う人々の暮らし全体を理解してこそなしえることがよく分かる。

インディアンの人たちは面で暮らしているから道なき道を進むけど、白人たちは線で暮らしているから道路から少しそれた集落のことは全然知らない。だから同じ土地に住んでいても、インディアンと白人の交流は意外と少ない。その間を著者が取り持つようになったのは、先住民と学界をつなぐ記述言語学者としての役割をも持つ著者だからこそなしえたのだろう。少し足りないぐらいで終わっている分量も、余韻があってまたいい。

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大言語学者同士の交遊録

オットー・イェスペルセン(1962)『イェスペルセン自叙伝』研究社

キーン自身は守ったが、私が不幸にして常に(ことに外国語で書くときはけっして)従うことができたと限らなかったいちじるしい忠告を彼は私に与えてくれた。その忠告というのは、文の冒頭の語を書き下ろす前に、自分の脳中で全文を作り、文全体を味わって発音し、舌の上で観ずるべきだ、そして人が一旦筆を下ろした以上けっして文体を訂正すべきではないということであった。(本書 p.46)

私は老伯父Mφhlからやむを得ず借金をした。やがてMφhlは私の帰国に先立って歿したので、私の負債は私の義兄Harderに引き継がれ、数年後私はこれを完済した。しかし私は自分の呑気さ・贅沢さを後悔すべきなんらの理由を持たない。なぜならその年に自由な研究をしなかったならば私は一廉(ひとかど)の学者には決してなれなかったであろうから。(本書 p.49)

高名な英語学者のイェスペルセンの自叙伝だ。かの英語学の泰斗、斎藤秀三郎の伝記である『斎藤秀三郎伝―その生涯と業績』では斎藤が後進の育成に熱心でなく、研究に専心していたらイェスペルセン以上の学者になっていただろうと何度か書かれている。当時は世界的な英語学の大家といえばイェスペルセンとされていたようだ。

そんな人の自叙伝である。自分の仕事については詳しく書いてない。いまどきイェスペルセンのことを研究している人なんてあまりいないので別にいいだろう。amazonでは訳がひどいと書いてある。時代的に仕方ないことだろう。自分で書いているので多少のエエカッコシイもあるだろう。それらを差し引いても面白い。

一番面白いのはロンドン学派の中心で音声学の大家、ヘンリー・スウィートとの交遊録だ。ヘンリー・スウィートはオードリー・ヘップバーン主演の「マイ・フェア・レディ」のヘンリー・ヒギンズ教授のモデルになった人だ。オックスフォードを出て苦学した割にはオックスフォードの教授職に就けず、偏屈な性格になったがゆえ、「ビター・スウィート」と言われていたあの難物である。イェスペルセンが彼の家に泊まった時も二人きりでいるのにかかわらず、1時間以上何も話さないでいたこともあったらしく、やっぱり少し窮屈さを感じていたようだ。その他アメリカでは人類学の祖、フランツ・ボアズ(Franz Boas)の家に招かれたり、1910年秋のミュンヘンにヘルマン・パウル(『言語史原理』の著者)を訪ねたり、ローマではムッソリーニに会ってそのフランス語の流暢さに驚いたりしている一方、日本から来た市河三喜の訪問を受けたりしている。トムセンやメイエとも関わりがあったようで、今となっては歴史上の人物の者同士の交友が書いてあって面白く読める。

イェスペルセンが最初は法律を志していたこと、英語学者になる気はなく、たまたま英語を研究し始めたに過ぎないことなど、こんな大学者も想定外の顛末が重なって生まれたことは初めて知った。

以下の箇所にはスウィートの個性が出ていて興味深い。

スウィートの家では私は日刊新聞を読まなかった。なぜ新聞をとらないのかと私が尋ねると彼は答えた:「そうだ、僕は1年間やめている。そして毎朝タイムズ紙を通読する時間をアラビア語の独習に当てている。そのほうがよりよい時間の利用法だよ。」(本書 p.92)

はるかに興味があったのはスウィート夫人が夫の書き残した自叙伝に基づいてLife and Letters of Henry Sweetを刊行する計画を私に告げたことであった。(中略)それは当時生存していたきわめて多くの人たちに対する非難に充ち、到底出版される見込みがなかった。(中略)彼は信ぜられないほどひどい近視であったが、成人するまで誰一人眼鏡を用いて矯正できることを彼に告げる者がなかった。(中略)多年ののちスウィート夫人が歿したとき私はWyldをして自叙伝の行方を捜させたが、Wyld自身これを捜し出すことができずに終わった。(本書 pp.145-146)

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考える力を身につけるために

外山滋比古(1986)『思考の整理学』筑摩書房

人間には、グライダー能力と飛行機能力がある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。
(中略)学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんのすこししかしていない。(本書 p.13)

よくホンモノを読んでる/見てるのに、話すとイマイチな人がいる。ホンモノを読まないと話は面白くならないが、ホンモノを読んでいるからといって話が面白いとは限らないのだ(逆はまた真ならず!)。本書を上手に使えば話が面白くなることは請け合い。

タイトルは『思考の整理学』だが、本来は『考えのはじめ』といった内容の本。どうやって考えを培い、育て、アウトプットまで持っていくかを、数ページのエッセイ形式で書いている。だから空いた時間で少しずつ読んでいける。

本書の一番のキモはタイトルの「整理学」にもあるとおり、思考法ではなく整理法だ。

本書の示すところは簡単だ。インプットをするだけではグライダーになる。いい思考を生み出すには以下のことをしなくてはならない。インプットするときに、気になった点、思いついたことをとりあえず書いていく。書いたものを眺めて考える。煮詰まったらしばらく寝かせる。気分転換する。また取り出して考える…の繰り返し。

本書の一番のキモはタイトルの「整理学」にもあるとおり、思考法ではない。整理法だ。インプットしながら練り続けるだけでは、思考はまとまりのつかない大きなものとなる。雑味を抑えて純度を高めるためには思考を濾過せねばならない。不要な部分を「捨てる」のだ。これは難しい。つん読を称揚する一方で、「捨てる」こと(今の言葉でいうと「断捨離」かな?)の重要性を説く筆者の慧眼には恐れ入る。確かに蔵書を増やすのは簡単だが、今後ずっと後悔しない形で(ここが重要!)蔵書を捨てるのは難しい。

「入れる」、「捨てる」、「出す」の三つをバランスよく行ってこそ、思考を上手に育て上げることができるのだ。

ただ、本書には足りない記述が二つある。一つは著者自身の取り組み、もう一つは具体例だ。

著者は大学教員という立場でこの本を書いておきながら、引用した学校という制度(システム)の批判を行っている。それでは、いったい筆者は自分の教え子を「飛行機」にするために、どのような努力をしたのだろうか? その点を情熱を持って書かれればよりいっそう引き込まれる内容になるはずだ。

また、著者は思いついたことの整理方法については具体的に書いているものの、どのような思い付きをどのように整理して、どういったアウトプットにまで持っていったのかを書いていない。それは煮え切らないが、今の時代はそこまで書かれた、丁寧な本がある。それは鹿島茂『勝つための論文の書き方』だ。

本書は息の長い名著である。が、本書だけでは偏るもの事実だ。ともに鹿島の本と、梅棹忠夫『知的生産の技術』を読めば、バランスよく自分の「思考の整理学」を編み出す飛行機能力が身につく。

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ことばにまつわるふしぎなエッセイ

千野栄一(1999)『ことばの樹海』青土社

ある言語には数詞が五までしかないというと、そんな未開な、とくる。(中略)〇と一しかない野蛮(?)な言語が、コンピューターの言語であるというのは何としても皮肉なことである。(本書 p.77)

文化を発展させていくために必要である多様性が、一つの言語が消えるたびに失われていくのである。もしこのことの意味がよく理解できたなら、次の世紀に行うべき言語学の作業はなにであるかはおのずから明白で、言語の死滅を防ぎきれないとすれば、せめてその姿を書きとどめておくことである。(本書 p.249)

言語学界きっての名文家であった千野栄一のエッセイ集。言語の多様性、いろんな言葉に興味を持っている人にはぜひお勧めの本。

このころの言語学者は危機言語(消滅の危機にひんした言語)に興味を持ち始め、まずはそれらを記述することが大事だと喧伝した。しかしポスドクの失業問題が明らかになると、就職率の問題から言語屋は大体英語か日本語か第二言語習得(教育)に逃げてしまい、本当に根性のある者か何も考えてない蛮勇のある者しか、危機言語の世界に飛びこんだ若者はいない。

確かに言語の多様性を記述するのは大事だけど、未開の言語でヘーゲルが翻訳できるか、と言われたら、必要があればできるようになる、と書いてあるのだから、未開の言語が消えたとしても、人は必要があれば既存の言語から所与の環境で行きぬくように作り替えていけるはずだ、という強弁も出したくなる。

本当は人の言語は多様で、その中に色々な叡智が集積されており、それを共時的、通時的にみることによって言語の何たるかに肉薄できるかもしれない、という点がポイントなのに、そこを押し出し切れていない。

言語を含む生活を変えて人間たるものの本質を変えようとしたコメンスキーに着目したり、二十一世紀に言語学の課題になる分野に言及したりと、その慧眼には恐れ入る。

指摘されている通り、ピジンやクレオールとともに、言語の分裂は記録されたが、コイネーにおける方言レベル以外では言語の同化は記録されていないというのは勉強になった。研究したいと思った。

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やっぱり言語は思考に影響を与える!

ドイッチャー,ガイ(2012)『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』インターシフト

今日の言語学者や心理学者の大半は、母語が話しての思考に影響を及ぼし得るという見方を頭から否定したり、たとえ影響があったとしてもきわめて小さい、あるいは問題にする価値もない、という態度をとっている。しかし近年、一部の勇敢な研究者たちがこの問題に科学的手法を適用するようになった。そして、その研究からはすでに、母語に固有の特徴が意外な形で話しての心に影響を及ぼす、という結果が得られている。(本書 p.32)

ジェンダーが言語から詩人への贈り物であることはいうまでもない。ハイネの男性名詞の松の木は、女性名詞の椰子に恋い焦がれる。ボリス・パステルナークの「我が妹人生」は、ロシア語で「人生」が女性名詞だったからこそ成立した。シャルル・ボードレールの「L’homme et la mer(人と海)」の英語訳がいかに見事でも、ボードレールが「彼(人)」と「彼女(海)」のあいだに喚起した激しい愛憎を再現できる見込みはない。(本書 p.268)

Guy Deutscherの代表的著作、Through the Language Glassの日本語訳。同署は2011年にRoyal Society Prizes for Science Books(アメリカのサントリー学芸賞みたいなもの)にノミネートされた。

書いてある内容はとても一般向け。分野としては一般言語学から言語人類学と言われる分野になる。

たとえば、有名な研究である人は色をどう見るか、という問題を分かりやすく解説している。言語によって色の区分はまちまちだ。英語でgreenとblueは区別するけど、日本語だと緑でも青信号、青りんごという。ただし当然、日本人も見た目では青と緑の区別はついているわけで、それを言葉にあわさないだけだ。区別の仕方はある程度のパターンがあって(黒と赤を同じカテゴリに入れる言語はない)、色のスペクトルを全く恣意的に分類しているわけではないが、まったく同じような分類をしているわけでもない。

また、絶対座標と相対座標、言語の性などの事例を持ち出して、言語が人の思考に与える影響について考えている。サピア・ウォーフの仮説の再検証だ。著者が使える英語やヘブライ語のほかにも、ヨーロッパ言語、日本語はもちろん、オーストラリアの先住民言語まで持ち出してさまざまな言語現象を引き合いに出し、決してメジャー言語(話者数の多い言語)の常識が人類の常識でないことを示す。

一番面白かったのは2012年に話題沸騰となったピダハンの反証が載っていること。それだけでも充分にこの本の価値はある。(ここ数年、ブラジルのアマゾン流域で使われるピダハン語に従属関係がかけている、という説が学界をにぎわせた。(本書 p.151))

『言葉の眼鏡を通して』という原題は、言語哲学でよく言われる「言語は現実を大雑把に切り取るだけで、細かい部分では取りこぼしがある」という性質を含意したものなのに、日本語訳では魅力が半減している。残念だ。中身は素晴らしいのに、残念だ。

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修辞学以前のレトリック

リチャード・A・レイナム 著/早乙女忠 訳(1994)『雄弁の動機-ルネサンス文学とレトリック』ありな書房

レトリック的人間は生来、単一の価値体系ではなく、複数の価値体系に支配される。つまり単一の世界観を信奉するのではなく、眼前に展開する現実の問題に専心する。レトリック的人間は熱心党にはなれない。創造的思考、新たなる認識の体系に無縁な人間なのだ。レトリック的人間は、現実を発見するのではなく、それを操作するように訓練される。彼にとって実在は、一般に現実として受容されているもの、また有用なものに限定される。(本書 p.16)

レトリック的人生観は、いたるところでシリアスな人生観を脅かす。(中略)西欧的自我はその当初から、レトリック的人間とシリアスな人間、あるいは社会的自我と中心的自我の、変わりやすくつねに不安定な結合から構成された。(本書 p.18)

レトリック的な座標軸とシリアスな座標軸は、両極限の状態である。シリアスな現実からすれば、過去にはさまざまな出来事が存在し、過去から遊離した現在という地点に立つ人物が、出来事の内容を人に語ることが可能である。レトリック的現実の場合は、それとは異なり、一切が現在である。それゆえこれら(筆者註:シェイクスピアのヘンリー諸王劇)四篇の芝居では、登場人物が真に演劇的な自我であり、単に過去に固定されている限り、彼らは真に過去に生きる。同時にその存在はたえず流動しているのだから、まさに現在しか認識しえず、彼らが演ずる劇は現在の時間の中に存在する。(本書 p.264)

本書はこれまでの西欧理解に新たな側面を付け加えてくれた。

西欧には元来、「かくあるべし」という真面目な(シリアスな)態度と「こう読めるよね/ぼくはこう読むよ」というレトリック的な態度があった。

だから戯曲の長いセリフも、シリアスな人たちは「この文章は明晰である」という前提のもと、文章の意味と、さらに深い読みをしようと試みる。

レトリック的人間は違う。彼らは人の心を動かし、不透明である現実の不透明さをさらけ出すため、言葉の美しさをたたえるため、幸せや悲しみを表すために、レトリックを用いるのだ。

衣装を考えてみたらよい。被服の本来の役割は寒さに耐えるため、身を守るためだった。そこに、自分をきれいに見せるためという、元来の役割に別の役割が付け加えられた。言葉もそれと同じである。物事を伝えるための「もの」的言葉のほかに、どういう文脈を紡ぎだし、事実をどう位置付けるかという「こと」的言葉があったのだ。「社会的自我」であるシリアスな人間は社会的に容認されるような言い方や意味付けを考える。「中心的自我」であるレトリック的人間は自分の快楽のために言い回しや道理付けを考える。

この二つの見方があると知ってこそ、中世文学の見方が変わってくる。そして、西欧への見方も変わってくる。レトリックな文脈をシリアスに読むことは無粋だし、逆もまた然りだ。それと同時に、この見方を知ることで主観対客観という西欧が有する二元論の根深さも理解できる。

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コセリウの考えを知るために

エウジェニオ・コセリウ著/田中克彦・かめいたかし訳(1981)『うつりゆくこそことばなれ』クロノス

構造主義は変化(改新の拡散)を転化(別の構造による構造の置き換え)と同一視し、古いのと新しいのとの二つの構造がならび存しているすべての中間段階を無視する。(本書 p.178)

ソシュールの中には、(中略)数々の矛盾ともめぐりあう。これらの矛盾は、かれの採った観点に起因するばかりではなく、かれの学説のいくつかの本質の側面からも生じてくるのである。すなわちa)いたずらに言語の状態と言語そのものとを同一視してしまったこと。b)言語を「出来上がった体系」、つまりエルゴンとする考え方、さらにc)言語をデュルケーム的な「大衆」というつかみようもない雲の上に追いやってしまったことである。それはプラトン主義を一まわり小ぶりにした亜流であり、これによって言語と具体的な言語活動との分離がもたらされた。(本書 pp.206-207)

ソシュールは、ラングはパロールを通じて変化するものだと教え、さらに、変化の初発の瞬間は「採用」だと見ている。それにもかかわらず、(中略)ラングの中には「状態と状態との間に生ずる変化の居場所はどこにもないのである。(本書 p.209)

共時態を無視することは、まさに時間の中に継起するところの言語を無視することになり、対象の外に立つことを意味するからである。部分は全体から、一段階は全過程から切り離すことができるのと同じ意味で、言語史の一時点は、他の時点を考慮することなく記述できる。しかし、全体の記述は部分を無視することはできないし、過程の記述は、その一つ一つの段階を無視することはできない。おなじくまた「体系化」の研究は、まさにこの体系化そのものの各瞬間を無視し得ない。(本書 p.230)

英語で論文を書かなかったせいか、英語圏ではあまり有名でないらしいコセリウの著書。日本では有名なはず。

本書は題名からわかるとおり、エネルゲイアとしての言語について焦点をあてたもの。すなわち、言語は完成された動かないものではなく、常に変わりつつあるものであるという、フンボルトのあの考え方を念頭に置いたものだ。

ソシュールやメイエといった有名な文法家たちの考え方を批判し、彼らの考え方の齟齬と、あるべき見方について論じられている。具体的には

  • ソシュールはラングを重要視したが、本来重要視されるべきはパロールとその集合体であるランガージュであること
  • ソシュールの提示した共時的と通時的な分け方は、あくまでも分析ためであって、言語がそのような二面性を持っているわけではないこと

である。

前者については最近のマクロは本当にあるのかという議論にも通じるし、実態として把握できるのは実際に話されている言語であり、言語の変化を決めるのはその言語の話者たち(ランガージュの担い手たち)であるという指摘はもっともである。

後者の視点は、とても面白い。これはトマス・クーンの『科学革命の構造』でも論じられていたけども、変化とはじわじわ起こるものではなく、ある時急に起こる。それは科学のパラダイムにしても、言語の構造にしても同じである。この点を指摘したコセリウは見事だし、やられた、と思った。

多くの言語学者は言語の変化をゆっくりと漸進的に行われると思っているのだが、それは実は違う。日本語も七つか八つの母音があったのが、いまの五つの母音になったのは、徐々に二つの母音が一つに融合していったのではない。おそらく六つの母音の体系が出現し(改新)、しばらくは六つの母音の体系と以前の体系が併存していたが、ある瞬間に大多数の話者が六つの母音の構造を選択し(拡散)、構造の変化が起こったのだろう。現にコセリウはヨーロッパの言語の音韻構造を持ち出して、その実例からこの理論を導き出す。しかし逆は必ずしも真ならず。たとえある時代のある言語で二つの母音が融合したからと言って、同じ二つの母音が存在する言語において、同じく融合するとは限らない。ただ、融合する可能性があると指摘できるだけだ。

そう考えると、結局比較言語学って何なんだろう。言語の変化の道筋を描いてきたけれど、それは単に可能性の指摘だった。やるべきはやはりサピアの言ったように、ドリフト、すなわち改新と選択の志向を探り当てることなのだろう。

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数少ない日本語で読める文献学入門書

中島文雄(1991)『英語学とは何か』講談社

実に国家は現在において具体性を保持する限りの最大の生命単位である。しかもその特殊なる統一性の意義のため歴史の主体として最も適当な単位であって、これが国史の存在理由である。(本書 pp.117-118)

フィロロギーとしての英語学はどこまでも歴史的である。それは決して材料の年代順の記述ではない。歴史的生活に即しての言語の考察である。シェイクスピア時代の言語状態は当時のルネッサンスの空気に影響されて華やかにしかも混乱した時代相をそのまま反映している。英語史家はまず文化史的に当時の言語状態を認識しなければならぬ。 シェイクスピアはこの時代にあって言語を駆使した。彼の言語は社会的制約を受けているとは言えるが、その中にあって彼自身の言語を選択する自由は彼にあった。彼は自己の個性に従って言語を使用し、自己の体験を表現に持ち越してきゃかん的存在とし、それを通して再び時代の現在と未来との流れに投げ返した。ここに歴史的意義がある。そこを明らかにするのがフィロロギッシュな研究である。(本書 p.194)

看板に偽りあり、と言いたくなる本だ。

題名からすると「英語学」について書いてある本かと思いきやさにあらず。いわゆるEnglish Linguisticsではない。English Philology(英語文献学、とでも訳せようか)とは何かについて書いてある本だ。そしてまっとうなことに、まずはPhilologyとは何かについてを延々と語り、その中の英語に限ったPhilologyとその意義について語っていくたいへん見通しが良くなる本である。

Philologyとはすなわち、文献を通じてある人々の世界の見方を知る(認識の認識、と著者はいう)ための学問である。彼らがどのように暮らしていたのか。その解釈方法として公的生活、私的生活、宗教、芸術etcと暮らしを要素に分類していき、それぞれに解釈を加えていく。要素同士の関係は批評と言われるものだけど、それは難しいのでひとまずはおいておき、まずは解釈から入る。その際に一番大事なのは文献を読むことであり、当時の言語の解明であった。そのために今でいう言語史や比較言語学という分野が重用されるのだ。

なんで比較言語学なんていう微に入り細を穿つような、気を見て森を見ないような学問があれだけ盛り上がりを見せたのかは僕にとっては長年の謎だったのだけど、この本でそれが氷解した。確かに比較言語学はパズルのようで面白い。しかしそれは学者の知的遊戯であって、誰も幸せにしていないのではないか、と思っていたら、そもそも人文学の遠大な目標の第一歩だったのだ。

もちろん、ここで射程に収めているPhilologyはとても広い分野を対象とするため、一人では行いきれないから、分業制を行う。ある者はドイツ語フィロロギーを、そしてある者は英語フィロロギーを、という具合に。

もはや最後のほうにある生成文法の説明なんかいらなかったのではないかというぐらいに、前半部分の記述は濃厚だ。逆に生成文法の記述箇所よりも現代性を有しているといえる。結局プロトタイプ意味論とか認知言語学とか、いまだに言語学は遠大な目標を見失った、分業のための分業をしているのではないか。

国家という概念が揺るぎ始めたこの時代に、言語学の世界でも20世紀には言語連合という概念も出てきたことだから、もう一度「国家を基礎としないPhilology」を再検討する必要があるのではないか、などいろいろと考えさせてくれるきっかけとなった本だった。

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言語活動の諸相を見る

ハイムズ, デル・唐須教光訳(1979)『ことばの民族誌』紀伊國屋書店

言語学における説明の目標は、人間の心の普遍的特質におかれ、現在の社会言語学的視点の興味や妥当性は拒否されているのである。
しかしながら、アメリカの言語学においては長期間にわたる強調の変化が起こっていて、社会学的なかかわりあいからの撤退の様相は、部分的で一時的である事が判明するかもしれないのである。(本書 p.109)

多くの人類学者と同様に、多くの言語学者は、人間のどの集団をとりあげても、文明の最高度の達成が本来的に不可能であるような集団はいないと考えている。(中略)発展途上国の教育相で、どの言語においても、どんなことでも言ったり、読んだりできるという考えの人はいないのである。時間と、お金と、意思があればそうでありうるということは、現実の状況を語っていることにはならないのである。(中略)テキストに見出される言語の機能に関する一般的な考察は、典型的には、言語の多様な素晴らしさという形で見出されるのだが、そんなものはくずにすぎない。(本書 p.264)

本書は下のリンクにもあるとおり、原題はFoundations in Sociolinguistics: An Ethnographic Approach(社会言語学の原理: 民族誌的アプローチ』)である。

問題意識としては、従来のアメリカの構造主義言語学と言われる学問では、あくまでも言語の体系(文法)を記述することに情熱を注いでいた。それは滅びゆくインディアン諸語の記録をとどめるという必要性からなされていたため、時代の要請であったともいえる。

その趨勢に加えて、戦後はチョムスキーの生成文法が出てきてしまった。上に引用した109ページの箇所は直前にチョムスキーを引用していて、敬意を払いつつも、ほかの方向性を呈示している。すなわち、言語の仕組みそのものの分析に深く分け入っていくのではなく、人と言語のかかわり、当該社会や集団内での言語の位置づけを考えるため、どのような状況において発話がされるのかを分析する必要があることを訴えたのだった。音素、音韻から形態素の分析を経て、談話文法へと分析の単位が拡大していくのは、これまた時代の要請だったともいえる。

本書が出た当時はラボフのニューヨークで調べたデパートの店員の言語の使い分けに関する調査がセンセーションを起こしていたこともあり、社会言語学が一気に注目を浴びていた時期で、まさにその分野が輝いて見えた時代だった。

言語学と隣接の社会科学の変換の過渡期としての「社会言語学」の全盛を見る見込みはあるのだろうか。私の考えでは、その可能性は非常に微妙である。(本書 p.267)

一応これは、日本においてはひとまずの成功を収めたと言っていいだろう。しかしいまだに、文脈と発話のかかわりについては難しいからか、モヤッとしたところで終っている。そもそも文脈とはいろいろな次元が考えられるし、日本語の母語話者でさえも「空気が読めない」と言われることがあるくらい適切な選択が難しいものなのだ。それを参与観察している外部の者にどれだけ分析できるのか。この点がいまだ乗り越えられていない。その点において、本書のいう人と言語のかかわりの探求は、いまだ十分現代的価値を持つのだ。

本書で面白かったのは、『史的言語学における比較の方法』を書いたメイエには手厳しい評価を与えていた点だ。

ある学者の言語区域は、彼の言語のいくつかに彼が伝達的に参加できることを意味しないこともある(偉大なフランスの言語学者のメイエは多くの言語が読めるけれども、フランス語以外の言語は話したり書いたりしたことがないと言われている)し(以下略)(本書 p.73)

比較言語学者だったから、英独はできてあたりまえ、希羅も書けて話せたと思うのだけど。

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史的言語学を担保する厳密性

メイエ, アントワヌ著 泉井久之助訳(1979[1977])『史的言語学における比較の方法』みすず書房

言語地理学は各々の語、各々の形のもつ歴史が、それぞれ特異性をもつことを特に明らかにした点において功績があった。これらの特異性はそれぞれの言語の体系的な全体のなかにその位置をもつものである。この全体のなかにそれらを置くことを忘れて、単に孤立的にのみ見る人は、反対に全体ばかり眼を注ぐのみであって、併せてこれらの全体を構成する特殊事実の各々を十分に正確な批判を持って研究することを知らない言語研究者にもまさって、大きい誤謬をおかすことになるであろう。(本書 p.123)

要するに、守旧の力に乏しく、変化に向う勢力が強い。今日以降、英語は英国と合衆国とで、それぞれ異なる進展の道を辿るであろうことは極めて自然である。
世界における英語の運命をあとづけるのは、ことに教えられるところが多いことと思われる。(本書 p.193)

本書は比較言語学の泰斗であったフランス人言語学者、アントワヌ・メイエの主著である。主に扱われているのは史的言語学(=歴史言語学・比較言語学)において、どのような方法論を持って厳密に祖語を再建(Reconstruction、再構とも)してゆくかについてである。

言語地理学でジリエロンの方言周圏論という成果があるフランスでも、同市年情な広がりを持たない部分もある。それはやはり交通手段によるもので、実は同心円的な分布ではないものの、周圏論の枠組みで語ることができるのだ、というあたり、当時のフランス人にとっては眼から鱗だったはずだ。

「ただひとりの言主では、その地方弁全体を代表する上に、田w賞とも不適当なところがあるのを免れない。手続きは粗大であり、およそにとどまるといわなければならない。しかし唯一可能な方法としては、これしかないのである」(本書 p.110)

と正直に吐露しているあたり、著者への信頼が置ける。この点をどう克服するかと言うと、そこは信頼できる調査者があちこちに行って言主を選ぶしかないのである。これでぎりぎり「雑多な調査者の個性による歪みを考慮する必要がない」(本書 p.111)のだ。

また、よく見落としがちな借用についても

「一個の与えられた言語の形態法の体系が、相異なる二つの言語の形態体系の混合に由来すると考えかねればならないような場合に、われわれはいまだ遭遇したことがない。」(本書 pp.139-140)

と述べている。借用語という意識がある限り、違う言語だという意識が生き続けるからである。

著者が一貫して述べているのは、個別言語・方言へのミクロな探求と同時に、全体の中での位置づけを慎重に行うためのマクロな目配りである。現在の日本での言語学の趨勢を見る限り、比較言語学や類型論のような、細部をみつつ全体の位置づけを考える学問は下火である。しかし英語や中国語といった大言語だけが言語ではなく、そしてそれらの大言語も誕生から今まで、そして未来永劫大言語であるとは限らない。言語とは何か、言語と人とはどうかかわるか。この言語学のテーマを改めて顧みることができる点で、本書の持つ意義は大きい。