カテゴリー
レビュー

稼いでも稼いでも楽にならない現状を変えるには

河上肇、佐藤優(2016)『貧乏物語 現代語訳』講談社

一九八〇年代前半、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)では明石家さんまらが「貧乏」をネタにすることができた。しかし、いま、テレビで「あなた貧乏人?」と突っ込むのは禁句に近い。
(本書 p.9)

機械が最も盛んに利用されている西洋の先進諸国において、-この物語のはじめでお話ししたように-貧乏人が非常にたくさんいるというのは、いかにも不思議なことです。
(本書 p.111)

第一次世界大戦のころに書かれた本のリメイク版です。前後に佐藤優による解説がついています。しかし内容は今の時代に読んでも古さを感じません。

河上はイギリスの例を挙げ、なぜあれほどの先進国で貧乏人が多くいるのかと疑問を投げかけます。貧乏人は一日に必要なカロリーを得ることすらできない、「貧乏線」以下の状況で暮らしています。

河上は金持ちが無駄遣いをやめ、余ったお金で社会の人に役立つお金の使い方をすれば貧乏人は減るといいます。嗜好品を求めるから嗜好品工場ばかり増えるけど、それを減らして生活必需品の工場が増えるようなお金の使い方をしなさいと述べます。ひとえに、金持ちの人間性を頼りにした性善説です。

しかし、現実はそうはうまくいきません。金持ちは貧乏人のためにお金を使うことはほとんどありません。そのため、再分配はやはり国家や自治体などの役割になってきます。100年たっても経済格差も格差の解決が難しいことも、時と場所を超えた真理として響いてきます。

状況が良くなったのは、革命の危険があるから貧乏をなくそうとしていた冷戦時代という特別な時期だけでした。「稼ぐに追いつく貧乏なし」が通じたのは、その時代でした。しかし、今は稼いでも稼いでも我が暮らし楽にならざり、の時代が再来しています。性善説で金持ちの人間性に任せるか、性悪説で政府の再分配機能を強化するか。もはや座視できません。私たちの選択が迫られています。


カテゴリー
レビュー

いまこそ読みなおす:村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

村上春樹(2004)『ダンス・ダンス・ダンス』講談社文庫

よくいるかホテルの夢を見る。

本書上 p.7

「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽のつづく限り」

本書上 p.183

これまで敬遠していた村上春樹を読んでいる。友人に勧められた『ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)』、『ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)』。これがめっぽう面白い。

妻と離婚した34歳の男性が主人公のお話です。もちろん、古い小説なので、今の日本と比べると時代錯誤的なところが目につきます。お金の使い方がバブリーだったり、渋谷でそこそこ広そうなアパートを借りて、スバルを持っているとか。もちろん、煙草も吸います。仕事はというと半年間の引きこもりのあと、フリーライターをして糊口をしのいでいます。誰かが書かなくてはいけないけどさりとて価値のあるわけではない記事を書いています。彼はそれを「文化的雪かき」と称しています。それを続けてなんとかなると思えるところが、すごい時代だったんだなあと感じさせられます。

主人公の僕はいるかホテルを夢で見て、行くしかないと考えます。そこはかつて行ったことのあるホテルです。だけど東京から札幌の距離です。理由も何もありません。ただ行くしかないと考えるから行くのです。するとあのとき一緒にいるかホテルに行って、行方不明となった「キキ」の消息をつかもうとします。あとのことは、あとになって考えることにします。すると、人との出会い、頼まれごとであれよあれよと運命の波にさらわれて、あちこち漂流していきます。その中でも「上手く踊る」ことで、僕は幸せをつかもうとしていきます。

本書の内容は確実に時代を越えた力を持っています。おそらく当時の人はバブルの浮かれた時代にある種の不安を感じていたのでしょう。言語化できないけれど、このままじゃダメになるぞ、という感覚。万能感に浸っているけど、ずっとは続かないぞという感覚。そういうものが本作と共鳴して200万部を越える大ヒットとなったのです。

言語化できない不安は今の日本にもあります。おそらくは当時より色濃く見える形で。時代錯誤的な箇所はもありますが、それは瑣末な問題です。不安な時代の幸せの見つけ方を、本書は今日も教えてくれます。

カテゴリー
レビュー

580人が東京駅で大乱闘を繰り広げた昭和の左翼運動

立花隆(1975)『中核VS革マル(下)』講談社

あらゆる権力の退廃は、思想・信仰の自由を踏みにじるところからはじまる。そして、権力による思想・信仰の自由の圧殺は、必ず革命思想・革命信仰の自由の圧殺からはじまる。それと同様に、あらゆる革命の退廃は、反革命思想・反革命信仰の自由の圧殺からはじまる。(本書 p.199)

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

前回紹介したものの続きである。

大衆運動を大々的に行う中核派、一方で組織づくりをする革マル。中核派は活動家が逮捕されて次第に力を失うとともに、革マルが組織づくりを終えて力をつけていく。次第に革マルが優勢になっていく。角材から鉄パイプ、バールに塩酸と次第に暴力がエスカレートしていった。だかある時期から、また中核派が盛り返す。これは暴力の方法に両者の思想の違いが現れたためだ。

中核派は国家権力への武力対決という発想で軍事組織づくりを行った。「職業軍隊中央武装勢力プラス国民皆兵の発想にたっている」(本書 p.151)一方、革マル派国家権力に武装対決するために作った軍事組織ではない。特殊な党派闘争専用の組織だった。だから終盤において全党をあげて戦った中核派が盛り返してきたのだ。

激しい戦闘中には、もちろん「誤爆」もあった。1974年9月5日、中核派は赤坂見附駅で在日朝鮮人女性(21歳)の顔と頭を狙い撃ちし、二週間以上の重傷を負わせた。当初は知らぬ存ぜぬを通していたが、事件後6日経ってから、機関紙にお詫びの文章を出した。在日団体の猛抗議があったことを伺わせるエピソードだ。

冒頭のお話は1973年12月23日、芝公園で集会をして東京駅までデモをしてきた中核派500人を革マル派武装部隊80人が襲った。結果5名重傷2名重体となった。この他、地方から状況すべく集まった全学連中央委員会メンバーを中核派が名古屋駅で迎え撃つなど、激しい戦闘が行われていた。当時は一般乗客にも影響が出ていたらしい。今となってはすっかり埋もれている史実だ。

カテゴリー
レビュー

過激派が乗った電車を切り離して全員逮捕した静岡県警

立花隆(1975)『中核VS革マル(上)』講談社

ともかく、人間の発明した概念の中で、正義という概念ほど恐ろしいものはない。(本書 p.29)

同一組織内での意見のくいちがいは、議論、説得、妥協によってなんとか調整をはかっていくことができるが、いったん意見のちがう者同士が組織を割ってしまうと、両者の意見の相違は、とめどなく広がっていってしまう。(本書 p.86)

中核VS革マル(上) (講談社文庫)

日本の左翼運動の中で大きな役割を果たしてきた中核と革マルに焦点を当て、両者の抗争の理由を書いたのが本書だ。まだまだ内ゲバ激しい頃に書かれていたため、結論が書かれていないところも生々しい。当時の人たちにとっても、なぜ彼らが(同じ左翼の中で)内ゲバを行い、殺人までするのか知られていなかった。

1956年、日本で左翼運動を行ってきた者にとって衝撃的な事件が起きた。スターリン批判とハンガリー暴動である。労働者の祖国であるソビエトで、世界の共産党を指導する立場にあったソビエト共産党。そこで最高指導者として崇められていたスターリンが批判された。さらに労働者の天国のはずの社会主義国家ハンガリーで暴動がおき、武力で鎮圧されてしまった。加えて日本共産党もこれまでの武装闘争路線から穏健な路線に改めた。これまで信じていたものがガラガラと崩れ去った。

一部の人たちが、スターリンに批判されたトロツキーを読もうということで、日本トロツキスト連盟を組織した。これが中核・革マルの源流である。

その後、第四インターナショナルへの加盟の可否や産業別労働者委員会を中心とするか、地区党組織を中心に据えるかといった方針の違いから中核派と革マルに分裂した。

当初、人数で圧倒していた中核派は大衆運動に参加し、運動が高揚するに連れてどんどんと力をつけていった。一方、革マル派は大衆運動に参加するのが目的ではなく、革命を起こして労働者の国を建設するのが目的だという信念から、組織づくりに重点をおき、大きな運動を起こさなかった。そのため、数の上で劣勢に立たされるわ、中核派からは権力(警察)とつるんでいるから逮捕されないのだ、などと言われた。こうして止める者がいないまま少しずつ両者の軋轢が深まり、最初は角材だったものが鉄パイプ、爆弾へと血で血を洗う抗争になっていった。

冒頭の話は1968年6月8日のこと。1万2千人の左翼が結集して伊東警察署などを襲撃した。この闘争に参加するため、中核派が乗っていた電車が車輌ごと切り離されて、全員逮捕された。日本にも、45年前にそんな時代があったのだ。

カテゴリー
レビュー

集団的自衛権の限定的な容認は戦争しない国への第一歩

佐藤優(2014)『佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 戦争の予兆編』講談社

新帝国主義の時代というのは、全面戦争はしない。でも、局地戦ぐらいはある。それでお互いに譲歩しながら力の均衡をつくるんです。(本書 p.168)

佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 戦争の予兆編

ラジオ番組「くにまるジャパン」とメールマガジン「インテリジェンスの教室」で披露している内容をまとめたものだ。こちらは前回紹介した『新帝国主義編』の続編にあたる。

姉妹書で世界が新帝国主義の時代に入ってきたことを指摘し、今後の流れとしては世界大戦は起きないけども、継続的に小さな戦争が続いていくようになるという見立てをする。

姉妹書よりも新しい話だからか、かなり面白く読める。たとえば、集団的自衛権の限定的な容認を閣議決定したのは、戦争ができる国にしたのでは決してない。公明党の動きにより、法律論から見ればこれまでよりも戦争のできない国になったのだ。

これまでの日本政府は国内法では集団的自衛権の行使でないとしながらも、国際法上は同権の行使という形で、いわば国内向けと国外向けに違う方便を使っていた。しかし今後は国内外で違う解釈をしないというルールになったのだ。だから、今後はその方便は使えない。だけど国連等で自衛隊を国外に出す場合も出てくるだろう。その場合、閣議決定に違反して出すことになる。

こんな見方は新聞では教えてくれない。まさに外務省に長年勤め、外交や国会を知り尽くした佐藤だからできる分析だ。

この話意外にも、クリミア編入でならず者だと思われているロシアが実は地域の実情にもっとも根ざした対応をしている。一方、米国はわからずに暴走し、ヨーロッパはその様子を静観している、という見立てもまさに腑に落ちる。しかも佐藤が使っているのは全てオープンソース、誰でもアクセスできるデータである。

世の中の重要な情報の9割以上は公開情報だと言われているが、本シリーズを読むとまさにそうだと実感できる。

カテゴリー
レビュー

現代社会を前近代的思考で攻めるバチカン

佐藤優(2014)『佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編』講談社

ラッツィンガー(枢機卿)が唱える「対話」路線は、相手を対等の立場であると認めて、新たな真理を追求するために行う真実の対話ではない。最終的に、カトリック教会の普遍性のなかにすべての人類を包摂するという目的を達成するための戦略的対話だ。(本書 p.123)

佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編

ラジオ番組「くにまるジャパン」とメールマガジン「インテリジェンスの教室」で披露している内容をまとめたものだ。

話題は著者が専門の日露関係沖縄分離独立から総合知なき知識人まで、広範に渡る。

読み応えがあるのは佐藤の専門である日露関係とキリスト教の話だ。

特にキリスト教については一般の読者にその戦略を分かりやすく教えてくれる人が日本にはほとんどいない。佐藤のように自身もクリスチャンで教会史に詳しく、世界情勢と絡めて分析できる人は稀有な存在だ。

ローマ教皇が600年ぶりに生前退位をしたのは、カトリック教会にとって現代は600年前と同じぐらいの危機的状況だと見なしている。バチカンの枢機卿はローマ教皇とほぼ同じ保守派の人たちで占められている。だからラッツィンガー枢機卿が訴えかける「対話」はカトリック教会がこの危機的状況を乗り切るための戦略だと佐藤は分析する。引用でも書いたとおり、イスラム過激派や中国など、バチカンと相容れない巨大勢力の中に対話できる人を探し、彼らの中で分裂を起こす。そしてこちらになびいた側をカトリック教会側に引き入れて生き残りをかけようとしているのだ。

カトリック教会はプレモダン(前近代)的な考え方をする集団だからこそ、モダンやポストモダンの考えに縛られずに危機を突破する方法を考えることができる。限界にぶちあたっているモダンやポストモダンの考え方で対応しがちな近代国家の人々よりもその点、強い。歴史の蓄積とはこういうことをいうのだろう。

その他、外交官の裏話として森喜朗元首相とプーチン大統領が仲良くなった経緯も紹介されている。おもしろい。九州・沖縄サミットの前に北朝鮮に寄って遅れてきたプーチンの顔を立て、プーチンの国際デビューを助けたのが森喜朗だったという裏話が紹介されている。だから森は、いまでも首相特使として行っただけでクレムリンまで案内され、国家元首並みの時間をとって会談できるぐらいのパイプをもっているのだ。

いざというときに重要なのは、やはり人と人とのつながり、信頼であることを示すエピソードだ。

カテゴリー
レビュー

ソ連の崩壊を見た後輩とナチスの崩壊を見た先輩の対談

佐藤優(2014)『私が最も尊敬する外交官 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』講談社

沖縄密約問題の本質は、外務官僚が職業的良心に基づいて「やむをえない」と考え、行った確信犯的行為であるというところにある。従って、密約を結んだが、「そのようなものはない」と当時国民に対して嘘をついたことについて、外務官僚に良心の呵責はないのである。
 しかし、問題はその後だ。吉野は、密約を結んだということがわかる書類を公文書の形で、後世、吉野を含む外務官僚が、国民に対して嘘をついたことがわかるように残した。小賢しい外務官僚ならば、嘘をついた痕跡を消すことができる。しかし、吉野はそれをしなかった。(本書 p.277)

佐藤優による吉野文六氏(外務省アメリカ局長)への聞き取りで構成されたオーラルヒストリーだ。

本書のうち、多くは佐藤の文章と書籍からの引用になり、ピンポイントで吉野のオーラルヒストリーが入る。少ないながらもその口ぶりからは、偉ぶらない、真面目、正直といったエリート官僚とは思えない(?)吉野の人柄が伝わってくる。それは自らの実力に裏打ちされた自信があるからこそ持てる態度だ。

御年94歳の吉野の若い時の経験は、まさに近代史を地で行く。松本高校から東京帝国大学に入り、法律を学ぶ。その時、ノモンハンから帰ってきた友人から戦場の悲惨さを聞き、戦争には行きたくないと思う。だから高等文官試験(いまの国家公務員試験総合職)に受かってから、採用試験にも受かった裁判官、大蔵省、外務省のうち、3年間の兵役免除を受けながら語学が学べる外務省を選んだ。

しかし、それが運命の数奇なところ。日本から戦争をしているドイツに行くには、米国経由しかなかった。だから海路ハワイ経由でサンフランシスコに行き、アメリカ大陸を横断してワシントン、リスボンについてからドイツ領を避けるようにスイスからベルリンに入った。ドイツで3年間勉強してから大使館勤務になったが、その頃には戦況は悪化、ベルリンの日本大使館勤務の時にヒトラーは自殺し、リッペントロップ外相は逃亡、大島大使もドイツ南方の温泉地に疎開してしまった。

そんな中、ベルリンの大空襲で大使館も爆撃される。防空壕で一命を取り留めた大使館員たちは、直後にやってきたソ連兵に軟禁されながらも、日ソ中立条約があったために丁重に扱われ、劣悪な環境ながらも列車でモスクワ経由、シベリア鉄道で満州まで送り届けられた。

読んでるだけでもそのスケールの大きさに酔いしれる。当時、満州で室の高い諜報活動を行っていた領事や敵前逃亡のようなことをした大島大使など、本当の危機の時にその人の人間性がよく現れている。

当時、日本とドイツは手紙も届かず、電話も最後は通じなくなった。そんな環境下でつらかったはずなのに、そうしたことは言わないところにもまた、吉野の強さを感じる。

カテゴリー
レビュー

英語はブレッド、オランダ語はブロート。なぜ日本語では「パン」という?

舟田詠子(2013)『パンの文化史』講談社学術文庫

「パンは神が作り、パン屋は悪魔が作った」という言い回しがドイツにはある。悪魔がつくった職業とみなせるほど、パン屋はきつい仕事だと解釈するのがパン屋。悪魔がつくったと見なせるほど、パン屋は悪いやつらだと解釈するのが消費者である。

本書 pp.209-210

著者が「もとより通史ではない」(本書 p.7)、「パンを焼いた人間を軸に展開させた」(ibidem)と書いているとおり、人々がどのようにどのようなパンを食べて来たかをフィールドワークを含めて丹念に書いている。

著者の出発点はシンプルだ。日本では戦後、パン食が急速に普及した。しかしそれは人々の暮らしに根付いたパン食ではない。ただパン屋やメーカーが焼いたパンを買い、出来合いのものを家で少しのアレンジをして食べているにすぎない。欧米のように、または日本のコメのように日ごとに家で作って食べることもなければ、いろんなパンを食べているわけでもない。日本全国どこでもたいてい白い生地で外側が茶色く焼けた、あのパンを食べている。

しかしパン発祥の地である「肥沃な三日月地帯」や欧米では事情が違う。地域や、かつては村ごとに取れる麦の種類や製法の違いから、違うパンを作って食べていた。ナンやピタ、トルティーヤ、フォカッチャ、クレープなど、家や村単位でパン窯を持って焼いて食べていた。人々の暮らしに根付いたパンがあった。そして今でもほそぼそと続いている。

施しのパンという習慣も根強い。修道院はかつて宿屋を兼ねていたから、裕福な人が来たら多くの宿泊費を払ってもらい、そのお金でパンを焼き、周辺の貧しい人たちに配っていた。それとは別に、万霊節(米国で言うハロウィン)に盛大にパンを焼いて死者への追悼を行い、そのパンは貧しい人たちに配られた。欧米の寄附文化の根底にはパンがあったのだ。著者は長年のフィールドワークで得た実例を示し、奥深いパンの世界を一つ一つ開陳していく。パンの持つ、味わい以上の深みを思い知る。

さて冒頭の回答。ザビエルと一緒にやってきたポルトガル語の「パン」が日本語に取り入れられた。しかしそれはキリスト教と一緒に入ってきたものの宿命、鎖国やキリシタン弾圧の下でパンも日本から姿を消した。元に18世紀の蘭学者の文書にはパンというものがオランダ語でブロフトと呼ばれ、小麦で作っているらしいことが書かれてある。しかし実際どんなものかは分かっていなかった。長崎のごく一部の人以外は言葉は知っていてもモノを知らなかったのだ。逆に言うとそんな状況下でも数百年、「パン」という語は生き延びで現代でも使われている。音の強さを感じるエピソードだ。

カテゴリー
レビュー

グローバル社会を生き抜く4つの選択肢

瀧本哲史(2011)『僕は君たちに武器を配りたい』講談社

発売以来すでに10年以上が経過しているが、あの本(筆者注『金持ち父さん貧乏父さん』を読み、書いてあることを実践して、「不労所得で大金持ちになることができた」という人の話を聞いたことはいまだない。(本書 p.6)

自分の信じる道が「正しい」と確信できるのであれば「出る杭」になることを厭うべきではない。本書で述べてきたように、人生ではリスクをとらないことこそが、大きなリスクとなるのである。(本書 p.289)

一歩進んだ自己啓発本。大体この手の本では佐藤優や勝間和代がスペシャリスト(マルクスのいう「熟練労働者」)になることを勧めるのに対し、本書ではスペシャリストすらグローバル化の中では生き残れないと喝破する。

ではどうすれば生き残れるか。著者は4つの選択肢を挙げるが、ここでは代表例として二つ挙げる。マーケッターとイノベーターだ。前者が市場のニーズを満たす人、後者が市場にニーズを作る人だ。

本書でも指摘されているが、資本主義の中で自由な活動をするにはベンチャー企業のほうがいい。だからこそ、有効求人倍率の低い大手企業ではなく、引く手あまたの中小企業にも目を向けることを著者は勧める。こういう本を読んでいつも気になるのは、結局著者だって東大助手からマッキンゼーと超大手を渡り歩いてきた人であることと、今の社会では資本家に使われる単純労働者だって一定数必要であることだ。

中小企業に入ってからのし上がってきた人たちから言わせて見れば、実態はもっとシビアなものではないのか。東大法から学士助手になるような、10000人に1人の逸材よりも、凡人の話こそ我々の心を打つのではないか。

また、「かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人」の言葉があるとおり、起業家やマーケッターになるのはいいが、そこには大多数の単純労働者や一般消費者が前提とされている。彼ら全員が起業家やマーケッターになるのは現実的ではないし、我々の何割かは常に単純労働者にならざるを得ないのだ。

結局、この手の本は選民思想が少し入っている。それがダメなわけではない。今の世の中ではどのような人生を歩むのも自由だ。ただ、夢への切符を提示すると同時に、夢破れたときのリスクをも明示するのが大人の態度であると思う。

カテゴリー
レビュー

数少ない日本語で読める文献学入門書

中島文雄(1991)『英語学とは何か』講談社

実に国家は現在において具体性を保持する限りの最大の生命単位である。しかもその特殊なる統一性の意義のため歴史の主体として最も適当な単位であって、これが国史の存在理由である。(本書 pp.117-118)

フィロロギーとしての英語学はどこまでも歴史的である。それは決して材料の年代順の記述ではない。歴史的生活に即しての言語の考察である。シェイクスピア時代の言語状態は当時のルネッサンスの空気に影響されて華やかにしかも混乱した時代相をそのまま反映している。英語史家はまず文化史的に当時の言語状態を認識しなければならぬ。 シェイクスピアはこの時代にあって言語を駆使した。彼の言語は社会的制約を受けているとは言えるが、その中にあって彼自身の言語を選択する自由は彼にあった。彼は自己の個性に従って言語を使用し、自己の体験を表現に持ち越してきゃかん的存在とし、それを通して再び時代の現在と未来との流れに投げ返した。ここに歴史的意義がある。そこを明らかにするのがフィロロギッシュな研究である。(本書 p.194)

看板に偽りあり、と言いたくなる本だ。

題名からすると「英語学」について書いてある本かと思いきやさにあらず。いわゆるEnglish Linguisticsではない。English Philology(英語文献学、とでも訳せようか)とは何かについて書いてある本だ。そしてまっとうなことに、まずはPhilologyとは何かについてを延々と語り、その中の英語に限ったPhilologyとその意義について語っていくたいへん見通しが良くなる本である。

Philologyとはすなわち、文献を通じてある人々の世界の見方を知る(認識の認識、と著者はいう)ための学問である。彼らがどのように暮らしていたのか。その解釈方法として公的生活、私的生活、宗教、芸術etcと暮らしを要素に分類していき、それぞれに解釈を加えていく。要素同士の関係は批評と言われるものだけど、それは難しいのでひとまずはおいておき、まずは解釈から入る。その際に一番大事なのは文献を読むことであり、当時の言語の解明であった。そのために今でいう言語史や比較言語学という分野が重用されるのだ。

なんで比較言語学なんていう微に入り細を穿つような、気を見て森を見ないような学問があれだけ盛り上がりを見せたのかは僕にとっては長年の謎だったのだけど、この本でそれが氷解した。確かに比較言語学はパズルのようで面白い。しかしそれは学者の知的遊戯であって、誰も幸せにしていないのではないか、と思っていたら、そもそも人文学の遠大な目標の第一歩だったのだ。

もちろん、ここで射程に収めているPhilologyはとても広い分野を対象とするため、一人では行いきれないから、分業制を行う。ある者はドイツ語フィロロギーを、そしてある者は英語フィロロギーを、という具合に。

もはや最後のほうにある生成文法の説明なんかいらなかったのではないかというぐらいに、前半部分の記述は濃厚だ。逆に生成文法の記述箇所よりも現代性を有しているといえる。結局プロトタイプ意味論とか認知言語学とか、いまだに言語学は遠大な目標を見失った、分業のための分業をしているのではないか。

国家という概念が揺るぎ始めたこの時代に、言語学の世界でも20世紀には言語連合という概念も出てきたことだから、もう一度「国家を基礎としないPhilology」を再検討する必要があるのではないか、などいろいろと考えさせてくれるきっかけとなった本だった。


Warning: Trying to access array offset on value of type null in /home/biblevi/biblevi.net/public_html/wp-content/plugins/amazonjs/amazonjs.php on line 637

Warning: Trying to access array offset on value of type null in /home/biblevi/biblevi.net/public_html/wp-content/plugins/amazonjs/amazonjs.php on line 637

Warning: Trying to access array offset on value of type null in /home/biblevi/biblevi.net/public_html/wp-content/plugins/amazonjs/amazonjs.php on line 637