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グアムを通して日本人を知る試み

山口誠(2007)『グアムと日本人-戦争を埋立てた楽園』岩波書店

帰国後の横井氏をめぐる報道が過熱していくと、「生きていた英霊」横井氏は、時が経つにつれて説明不要な有名人「ヨコイさん」という固有名を獲得し、奇妙な言行で知られるキャラクターとして扱われるようになった。(本書 p.36)

ここで問題なのは、「日本人の楽園」とGuamの間のズレではない。ガイドブックとその轍が複数存在すれば、必ずズレは発生するだろう。ズレを橋渡しする回路がないまま、お互いに無関係な「グアム」とGuamが並存している現状が問題なのだ。(本書 p.155)

グアムに行く日本人は年間100万人に及ぶ。そんな身近なグアムと日本人の「関わり方の歴史」を書いたのが本書だ。戦時中は大宮島と呼ばれ、ほんの短い間だけ日本の統治下にあったグアムは、今はリゾート地として「消費」されるだけだ。それは近年始まった現象ではない。戦後二十数年しか経っていなかった1970年代には、すでに始まっていた。横井さんがジャングルの中、一人で戦争を継続していた同じ時期に、数十キロ先では日本人の新婚カップルが続々とハネムーンにやってきていた。

グアムにはスペイン統治時代を経て、アメリカ、日本、アメリカと宗主国が変わった歴史とともに、先住民族チャモロの人たちの暮らしなど、複雑な歴史を持つ。そんな中、なぜ日本人は歴史を見ずに、ショッピングとビーチのリゾートである「グアム」だけしか見なくなったのか。英語圏のガイドブックには歴史について書いてあるにもかかわらず。本書はそこに、グアムの観光開発の歴史(西のハワイ、新婚旅行のメッカ宮崎の延長)を見る。

本書ではグアムが政治的にまとまらない理由についても考察している。アメリカ人であるグアムの人々には連邦法により納税の義務等を課せられている。しかし大統領をはじめとする国政選挙権はない。それを要求する勢いも、逆に分離独立する勢いも、今のグアムは持っていない。それは周辺の島々(ロタ、テニアン、サイパンとミクロネシア連邦か?)やフィリピンから来た低賃金で過酷な仕事に従事する人々と、軍施設などで公務員として仕事をしているチャモロ人との間の軋轢があるため、団結する力より離反する力のほうが強いからだと説く。アメリカに差別的待遇を受けているグアムが周囲の島々を差別する。この構図は本土と沖縄と奄美と似ている。

本書はグアムについてもっと知りたい人には良い導きの手になる。日本語でここまで書かれた本は数少ない。ショッピングとビーチの楽しいリゾートという側面しか知らなかった人にとっては衝撃を与えるだろう。道路修復を優先されて再開されない博物館、グアムの中にすら存在する格差、誰も死なない(死ねない?)島。小さな本の中に、グアムの「暗部」とも言える根深い問題が見えてくる。

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これからのメディアを知るために

佐藤卓己(1998)『現代メディア史』岩波書店

書物は19世紀半ばすでに「旧いメディア」と見なされていた。大衆社会到来の400年前にメディアとして完成した書物が、大衆を前提としていないのは当然であった。(本書 p.43)

労働者文化の伝統があるヨーロッパと違って、アメリカの移民労働者たちは共同体的娯楽から切り離されていた。教養を必要としない映画鑑賞は識字能力の未熟な移民労働者や青少年にとっての格好の「安息の場」となった。(本書 p.102)

書物、ラジオ、テレビといったメディアがどのように発展してきたのかを日米英独の比較を通して描き出している。

ここ数百年、人は書物を古いメディアと言い続けてきたが、いまだに生き残っているし、それが駆逐されそうもない。いつの時代も書物は危機を喧伝されながら生き延びてきた。

注目に値するのは、国家と人々の関わりだろう。かつてのメディアはラジオにしろテレビにしろ、大きな資本力を必要としていた。そのため、国家主導で開発され、イデオロギーを浸透させるために使われた。戴冠式をテレビ中継した英国にせよ、ラジオで戦況を伝えていた日独にせよ、国は異なれどやっていたことは同じだ。

しかし一方、比較的少ない投資額で済んだ雑誌と映画は民間主導だった。それが国民に憩いの場、公共への参加の糸口、娯楽を与えたのだった。

テレビを最後に国家がけん引するメディアは終わった。ネットや携帯を使ったメディアの登場は、いよいよ大衆主導型メディア時代の幕を開けた。これからは国家に導かれるのではなく、大衆の興味や関心が世間を導く。ネットを見てると世間が分かる。かもしれない。

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サントリー学芸賞 レビュー

雑誌じゃないよ超雑誌『キング』

佐藤卓己(2002)『キングの時代』岩波書店

雑誌メディアは、読者対象を細分化することによって発展するものであり、(中略)つまり、細分化可能な領域が存在する限り、雑誌は「専門化」していくことになる。(中略)こうした個別雑誌による読者の細分化、分節化が完成した段階で、『キング』は階級、年齢、性別を超越した国民統合メディアとして構想された。(本書 p.145)

「国民」とはそれほど消極的かつ受動的な読者だったのだろうか。売上部数の著しい伸張を見る限り、戦況を伝える雑誌に国民は殺到した。膨大な購読者に情報操作の犠牲者、メディア被害者としての免罪符を与えることは、大衆政治における政治的無関心や情緒的行動がもたらした結果に対する国民一人ひとりの責任を不問にすることにほかならない。(本書 p.342)

かつて『キング』(講談社)という雑誌があった。その名の通り雑誌界の王として君臨した。1925年創刊、1957年終刊、日本で史上初めて100万部を突破したオバケ雑誌である。

当時より人口の多い2013年現在、一番売れている月刊誌は文藝春秋の58万部、週刊誌でも週刊文春の70万部であることからも、その名に負けないキングぶりがわかるだろう。

我々と同様、著者も疑問に思う。「なぜそれだけ売れたのか」。しかも、当時の知識人、文化人たちはキングを毛嫌いしていた節がある。じゃあ、逆に何故それだけ売れたのか。どこが読者に受け入れられたのか。

キングの発行年をみてピンと来た人は鋭い。当時の日本は雑誌の揺籃期~草創期だったのに加え、ラジオ放送(1925年)、テレビ放送(1953年)も始まったばかりだった。 この疑問に対する分析の枠組みを、著者は自らの体験から編み出す。即ち、これまでは雑誌や新聞といった媒体ごとに分析する研究が多かったのだ。しかし、雑誌や新聞はテレビやラジオといった他の媒体とリンクしながら消費されていた。これまでの見方では、他のメディアとの関わり合いという観点を取りこぼしていた。 通常、雑誌は読者対象を細分化するメディアである。講談社もそうした雑誌を持っていた。男性、婦人、少年、少女と対象を絞った雑誌のラインナップをそろえた上で、それらを統合する国民雑誌『キング』をリリースした。

いろんな人に読ませる雑誌であったこと、いろんな人を満足させるだけの中身があったこと、まさに「ラジオ・トーキー的雑誌」だ。

大正デモクラシー、普通選挙と参政権、国家総動員体制、ラジオ・トーキー・テレビの誕生。歴史の荒波の中でキングは雑誌界に君臨し、100万部の栄華を極め、33年で幕を閉じた。キングと時代の共存を緻密に描き出している。

当時、大衆を対象とした講談社文化の対立軸として、インテリを対象とした岩波文化が挙げられた。大衆誌のインテリ的分析を行った本書がその岩波書店から出ているのにも、また歴史の妙を感じてしまう。

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経済学を学ぼうと思ったら

佐和隆光(1982)『経済学とは何だろうか』岩波書店

アメリカには夥しい数のビジネス・スクール(経営学の大学院)がある。ビジネス・スクールの卒業証書である経営学修士(MBA)の肩書きが、この国でビジネス・エリートたるための不可欠の資格証明とされている。
(中略)
こうした学習が、経営者としての実践的手腕に資するところは、たとえあるにしても、はなはだ僅少であろう。実のところ、ビジネス教育が実践に役立つか役立たないかは、どうでもよいことなのである。要は、ビジネス教育というものが、これまた一個の<制度>として社会的に容認されていること(中略)こそが、ビジネス・スクールの隆盛のゆえんなのである。(本書 pp.65-66)

完成された学問をなるべく速やかに、しかも正確に習得できるようにするのが、「教科書」の目的である。学問の発展過程における試行錯誤、歴史的背景、学説の草創期における論争、著者の人間性などはいずれも、教科書にとっては夾雑物ないし枝葉末節であるとして、きれいさっぱり取り払われてしまう。教科書の篇別構成は、学説史的展開の順序はほとんど無関係に、易しいものから難しいものへと、論理的かつ単系的に配列される。(本書 p.82)

結局のところ、経済理論が掛け値なしで「有効」でありえたのは、なんらかの「政策」を論駁するという役柄においてのことであった。もちろん、ある政策を論駁することが、オールタナティブな政策の「支持」を意味することを否定する気はない。しかし、その「支持」は、あくまでも消極的な支持にすぎないのである。(本書 p.203)

これまで経済学とは何か知らなかったのだけど、この本を読むとどういう特色があって、他の社会科学とどう違うのかがよくわかる。

産業革命の際に起きた科学の制度化を契機に、経済学は離陸する。世界恐慌の端緒となったアメリカの大恐慌でフーバーの反介入主義と均衡予算主義をモットーとする古典派的経済学を実践し、直後にルーズヴェルトはニューディール政策で介入主義、積極的支出政策、いわゆるケインズ政策を行った。そして戦争下に人間社会の現象を数学的に解析するという営みに参加した数学者から、計量的経済学者が生まれる。その後は、引用した教科書化や大学院・学会の拡充による制度化がなされて、コンスタントにエコノミストが排出される土壌が出来上がった。

しかしやはり理論はオッカムのかみそりで、現実を捨象したものとなり、現実に適用するには多くの変数を付け加えて美しくなくさせなくてはならない。その適用と失敗の繰り返しで理論は現実の近似値に近づくんだろうけど、しかし現実も同時に変化しているため、これはイタチごっことなる。そのため、学問にできるのは、経済学に限らず、畢竟論駁することだけとなる。という指摘はいまだに現代性を失っていない。

wikipediaに書かれてあった「著書『経済学とは何だろうか』では、トーマス・クーンのパラダイムの概念を新古典派~ケインジアン~新古典派総合~ルーカス反革命という一連の経済学説の流れにあてはめて見せた。」という一文に興味をひかれて読んでみた。

クーンへの言及で最も注目すべきは、或るパラダイムを基準にして問題が決められるため、その問題が解決されないのはパラダイムではなくて科学者が悪いのだ、としている点である。そのため、経済学において現在もまだ問題が残っているのは、ひとえにパラダイムの問題ではない。経済学者の問題であり、今を生きる我々の問題なのだ。

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暴力の根源をさぐる

ソレル, ジョルジュ著/ 今村仁司・塚原史 訳(2007)『暴力論』(上下巻)岩波書店

知事たちは、蜂起派の暴力(ヴィオランス)に対して合法的武力(フォルス)を発動せざるを得なくなることを恐れて、雇用者側に譲歩を強いるよう圧力をかける。(中略)知事は労使双方を脅して、巧みに合意へと導くために、警察力の行使を調整するのである。(本書上巻 p.118)

強制力(フォルス)は、少数派によって統治される、ある社会秩序の組織を強制することを目的とするが、他方、暴力(ヴィオランス)はこの秩序の破壊をめざすものだといえるだろう。ブルジョワジーは、近代初頭以来、強制力(フォルス)を行使してきたが、プロレタリアートは、今や、ブルジョワジーに対して、そして国家に対して暴力(ヴィオランス)で反撃している。(本書下巻 pp.53-54)

労働に比例してただちに手に入る個人的報酬がなくても、おのずから現れてくる最良のものへの努力は、絶えざる進歩を世の中に保証するひそかな美徳である。(本書下巻 p.196)

すぐれた生物学的記述を得るために、人間の諸集団が提供する豊富な資料を利用した後で、人間たちについての観察を利用して組み立てられたが、博物学の必要に合わせようとする過程で明らかに変更を加えられた定式を、社会学者の流儀にならって、再び社会哲学に導入する権利など存在するだろうか。そうした定式は有機的生命体には適切に応用できるとしても、われわれの本性中、もっとも高貴な特権だと万人が認めるものを消去することで、人間活動の概念を奇妙なまでに歪曲してしまった。(本書下巻 pp.208-209)

晦渋な文章である。

今村仁司の『暴力のオントロギー』を読んで以来、ずっと気になっていたソレルの『暴力論』。やっと読むことができた。このあとはベンヤミンの『暴力論批判』か、あるいはサン・シモン主義を勉強すればいいのかしら。

訳者の塚原があとがきで書いている通り

今村さんは、以前から「暴力、労働、ユートピア」を研究の主要な柱としており、『暴力のオントロギー』や『排除の構造』などの仕事で、彼自身の暴力論の構築を試みていたから(以下略)
(本書下巻 p.308)

ということで、本書を今村の仕事との類似性を求めて読むと、毛色の違いに驚く。

本書はマルクスの理想を現実にするための手段を探ったものと言える。彼はそのための唯一にして最も効果的な手段がゼネストであると述べる。これが上下巻ともに一貫した主張なのであるが、如何せん当時の欧州の事情を踏まえつつ、晦渋な文章と格闘しないといけないので、読みづらい書となっている。これは訳が悪いのではなく、原文もそもそもからして晦渋らしく、それを忠実に訳したらしい。まさに誠実な醜女。

ソレルのいう暴力(ヴィオランス)とは、ゼネストのような下から上へ向かう力のことであって、上から下へ向かう抑圧のために使われる力である強制力(フォルス)と区別した。そしの上で今やその暴力(ヴィオランス)を抑え込むほどの力(フォルス)のない支配層を、こちらの立ちまわり方次第で追い出し、よりよい社会を作ろうと呼び掛ける。

少数の支配層が自分たちのために政治を行っている現状をゼネストにより打破し、労働者の組合(革命的サンディカリスト)が国家を運営する。彼らは少数の支配層よりも多くの人民の利益を代表するから、よりよい大衆のための社会ができるはずだ。マルクスのドイツイデオロギーに書かれていた話を思い出させる、ここに論理的破綻はない。

上部の命令によるのではなく、末端の兵士は自らの栄達のために戦闘をする。それと同じく理想の社会のため、革命闘争に参加せよと呼び掛けるソレルのやり方は、おそらく最も効果的なものだろう。語られた理想論をより現実に適用しやすいよう調整していく努力は、とくに上記引用の最後の部分(「付論1 統一性と多様性」より)に書いてある通り、単に統一を目指せばいいのではなく、現実を見てそれに合うように理論構築をしていこうとする姿勢は、現代性を失わない。

論理的にも整合性がとれ、現実に合うように理論を構築していった社会主義者たちがいたなかで、なぜソ連は崩壊したのか。理想や理論よりも強力な、人を想定外の方向に動かす何かが、現実には存在したのだろう。

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パースを知るための第一歩

有馬道子(2001)『パースの思想』岩波書店

このようにソシュールの記号論が「コードとメッセージの記号論」として、歴史的、社会的体系の中の価値としての恣意的な記号をあつかうものであるのに対して、パースの記号論は無現の「意味作用の記号論」として、身体的経験的に自然とつながりつつ社会的論理と場(コンテクスト)に開かれた対象を指し示す記号をあつかうものとなっており、新陳代謝的にたえず更新される「場の記号論」「解釈の記号論」となっている。(本書 p.60-61)

ある私の友人は、高熱の後、聴力をすっかり失ってしまった。この不幸な出来事の起こる前、彼はとても音楽が好きであった。(中略)その後でもよい演奏者が弾くときには、彼はいつでもピアノのそばにいることを好んだのであった。そこで私は彼に言った。結局のところ、すこしは聴こえるんだね、と。すると彼は、ぜんぜん聞こえないさ-でも全身で音楽を感じることができるんだ、と答えた。私は驚いて叫んだ。(中略)同様に、死んで肉体の意識がなくなると、私たちはそれまで違った何かと混同していた生き生きとした霊的意識(spiritual consciousness)をそれまでもずっともっていたことにすぐ気づくことになるだろう。(CP. 7. 577)(本書 p.103)

この段階におけるアラヤ識を井筒俊彦(1983年)は「言語アラヤ識」と呼んでいる(こうした見方を、パースの「シネキズム」およびデリダの「差延」や「痕跡」と比較してみるのも興味深い。これらの間に本質的な相違はみられないからである)。(本書 p.191)

パースの話をするときには今でも本書が引用されることが多いので、避けて通れない本となっている。パースの思想を知るにはまとまりもよく、分量も短く、読みやすい本だと思う。パースの思想のみならず、その西洋思想(おもに言語学)上の位置づけを素描し、ソシュールとの関係はもちろん、チョムスキーやヤコブソン、ボアズやサピア、ウォーフにつながる系譜まで紹介しているあたりは、小山亘の『記号の系譜』の簡略版ともいえ、非常に見通しがいい。また後半になると井筒俊彦の『意識と本質』を引いており、補論には老荘の思想について書いているあたり、東洋思想との比較まで試みた、大変意欲的な書である。

パースの記号論は言語学のみならず、人間世界のすべてに適用できる視野の広い思想である。その点はソシュールよりも断然応用が利く。ソシュールがアナグラムに走って世界を変えようとしていたが、パースは自身の苦しい生活の中で得た神秘体験を通して、世界を解釈した。そして、それを説明し得るようなモデル(アブダクション)を作り上げたのだった。その点、同じ慧眼を持った学者とは言え、言語の能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)に着目したソシュールと比べると根性が違う。

上記の系譜に連なるボアズ、サピア、ウォーフがパースと共通している点は、言語に出てくるものと、そこに直接的には出てこないが、出る過程に影響を与える文化的な形があったという点だ。これについて著者は精神的中間体を仮定したフンボルトや、語りえぬものについては沈黙せざるを得ないという形で言語の限界を示したヴィトゲンシュタインにも言及している。

そうすると当然言語アラヤ識の話になってくるんだけど、やっぱりこうなると井筒俊彦以外に拠って立つところは無い。早い話が彼の著作を読めばいいのだけど、かなり骨が折れる。えらくざっくり言うとすべての言語表現の発動のきっかけとなる種子(しゅうじ)として、アラヤ識の中に言語アラヤ識というのがあり、その発動過程、発露の仕方は文化に影響されるということを言っているのだけど、唯識ではそもそもアラヤ識にある種子を取り払う修行をしているので、その存在を認めるだけの思想よりも、対応方法まで考えるあたり、(いいのか悪いのかは別にして)一歩進んでいるよなぁ、と思う。

仏教の話が出たついでに言っておくと、本書においてライプニッツの話の中で、過去と現在の2点を仮定したとき、その間に挿入できる点は無限にあることから、過去と現在は連なりであって断絶は無い、という話があったが、同じ無限の点を挿入できるからと言っても、それが連なりであるとは限らず、水は一瞬にして醤油のような他の物質にもなりかねない、と考えているアビダルマも、やっぱり深く考えてるなぁ、と思った。

こうした東洋と西洋の思想の違いに目を向けさせてくれる、非常に示唆に富む本だった。

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学校で教わらない中国の姿

厳家祺、高皋著;辻康吾監訳(2002)『文化大革命十年史』岩波書店

著者はアメリカに亡命した中国人なので、反共産党政権の立場である。それを前提にして読まねばいけないが、それを差し引いてもものすごい内容。

題名にある通り、文化大革命の端緒から、四人組が裁判にかけられるまでを3巻にわたって書いている。上中巻の林彪時代と下巻の四人組(江青時代)とおおよそに分けられている。

おおざっぱに言うと文化大革命とは、一部のグループが仕組んだクーデターだった。

江青・林彪派は毛沢東を形骸化したトップにしたてて骨抜きにし、実質的な国家運営の権限を自らの手に持ってこようとしていた。その動きを察知してか、あるいは天性の嗅覚で嗅ぎ取ったのか、毛沢東は文化大革命を推し進める江青・林彪派とより穏健な劉少奇派を上手に使いこなし、2つの派閥の消耗戦という形に持って行って最悪の事態を免れる。現在の金正日もそうだといわれるが、社会主義国家の指導者にみられるこのしたたかさには舌を巻く。

文芸誌に載った京劇『海瑞罷官』の批判が端緒とされる文化大革命は、文芸界の騒動でおさまるとみられていたが、それが全国民を巻き込んだ政治運動へと拡散していく。その様子が克明に描かれていて、数は力なんだということを思い知らされる。

いつの時代も海外のものを取捨選択、換骨奪胎して自分たちのために取り込むのはいいことだと少なくとも僕は思うのだけれど、それを走資派(資本主義者)の動きだとして批判されていくありさまは、正論の通じない集団心理の恐ろしさを見せつけられる。

甚だしくは国家主席の劉少奇や副総理兼国防部長の彭徳懐といった国家に功労のあった人たちまで、あっけなく批判され、不遇の中で粛清されてしまう。

劉少奇は家に押し入った群衆によって自室に監禁されてしまう。窓のすぐ前に煉瓦の塀を建てられて他の部屋の様子も分からない。そんな中、家族もすぐ隣の部屋で監禁されていて、いつか会えると思いつつ亡くなった劉少奇。家族は他の場所に移送され、前日まで自分の家の使用人をしていた者が監視役となって監禁生活を送るなど、まさに不遇の最後だった。彭徳懐も同様に監禁され、持病の治療をされることなく放置されて亡くなってしまう。

中国を理解する一助になる本。

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言語学が熱かった時代を振り返る

鈴木孝夫、田中克彦(2008)『言語学が輝いていた時代』岩波書店

(田中) (前略)だから、最近は人間の屑がやるのが言語学だとつくづく思う(笑)。自分の土壌を持っていないんだもの。(本書 p.203)

(鈴木) だからもっと言語学者に自殺する人が出ないと、言語学は本物じゃないのではないか。詩人や絵描き、小説家はしょっちゅう自殺するのに、言語学をやって自殺した人が少ないのはどういうわけだって。(本書 pp.229-230)

本書が最初に出たことは、単なる二人の対談による回顧録かと思っていたけども、その認識を新たにさせられた。確かに、二人の世代しか語れない学者(高津春繁、服部四郎、亀井孝、泉井久之助、井筒俊彦等)の話もあって、その話も大変興味深かった。

やっぱりお二人は激動の時代を生きてきただけあって、田中克彦のエスペラントの話や鈴木孝夫の井筒俊彦宅での書生時代の話など、とても興味深かった。当時は言語学は他の分野を引っ張って行った時代の香りみたいなのを持っていたはずで、言語学者のロマン・ヤコブソンが音韻論の分析に用いた二項対立という概念を持ってきたレヴィ=ストロースが『親族の基本構造』で構造主義ブーム(?)をうちたてたりした時代だった。

そうした時代の香りを知っているこのお二人からしたら、現在の状況は歯がゆいのかもしれない。日本の歴史の中で幸福な(不幸な?)言語学科が雨後のタケノコのようにできた時代もあったのに、今はその割りを食って言語学をやる人はそこそこいるものの、なぜか他の学問を引っ張るようなところまで行っていない。それをどう解決していくかは、今の言語学徒の課題だと思う。

これを機に、クロポトキンの相互扶助論が読みたくなった。いつか読もう。

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プロが教える外国語上達のコツ

千野栄一(1986)『外国語上達法』岩波書店

さて、中学、高校、大学と語学の習得に苦しみ抜いた私の方はどうなったであろうか。正直にいって、私はこれまで楽に外国語を習得したという経験は一度もない。現に今でも、苦しみながら新しい外国語に挑戦している。(本書 p.8)

考えてみると、英・独・ロシア・チェコ・スロバキアの五つの言語には翻訳されて活字になったものがあるし、外交官の語学養成機関である外務研修所で教えたことのある言語も、ロシア・チェコ・セルビア・ブルガリアの四つがあり、このほか大学では古代スラブ語を教えている。さらに辞書を引きながら自分の専攻の分野の本を読むのなら、フランス語、ポーランド語と、そのレパートリーは拡がっていく。(中略)しかし、何度も繰り返すようで恐縮だが、私は本当に語学が不得意なのである。(本書 p.11)

この本の著者は言わずと知れた言語学者、千野栄一である。最近では黒田龍之助などもそうだけど、スラブ系言語をやった人にはいろんな言語のできる人が多い。それぞれが近しい関係にあるので、一つをやれば後はさほど習得に困難が生じない、ということなんだろう(と言っても僕はスラブ系言語をまったく知らない)。そのため、千野栄一はあるいはポリグロットと言っても過言ではないと思う。

この本の中ではいろいろと述べられているが、語学上達に必要なのは辞書、学習書、教師であり、覚えるべきは語彙と文法とのことであった。独習者はいい教師に恵まれづらく、メジャー言語以外は日本語で書かれた学習書もないので、マイナー語をやるにもまずは英語やロシア語、中国語と言ったメジャー言語をやるしかない。

あと、一番大事なことが書かれてあった。それは「お金をかけること」。人間はとてもケチなので、お金をかけたら真剣になるということだ。だからシュリーマンは浮浪者に向かってヘブライ語を語りかけていたのか。

中身については啓蒙されることが多かったとともに、様々な言語学者のエピソードも面白い。もう全員が故人なので名前を挙げてもいいと思うが、S先生=木村彰一、H先生=高津春繁、R先生=河野六郎。この人たちはすごかったんだなあ、とまるで摩天楼を見上げる気持ちになった。