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レビュー

国家に寄生する官僚の暴走を防ぐ方法

佐藤優(2015)『官僚階級論 霞が関といかに闘うか』株式会社にんげん出版

危機となれば官僚階級の意思が前面におしだされます。主権者が人民でなく、じつは国家であることが露呈するわけです。リーマン・ショックの金融危機での国家介入はまさにその最たるものですし、そうした国家の介入が歓迎されます。国家の介入が歓迎されるムードが昂じれば、人民によってえらばれているのではない官僚階級の支配がせりだしてくることになります。(本書 p.267)

近代は、官僚階級が、事実上の王権の位置にいるといってもいいでしょう。(本書 p.293)

モナド新書 官僚階級論 (モナド新書010)

元官僚だった佐藤優が官僚たちに立ち向かう方法を考える方法を伝えます。

出版社の紹介ページでは構想7年と書かれてありますので、月刊佐藤優と言われるほどのペースを誇る著者にあっては、かなり練りこんで書かれた本だといえます。

丁寧ですが、読みづらいのも確かです。官僚は国家に寄生する階級だから、まずは国家の成り立ちから性質を分析します。そして国家に寄生する官僚の性質を解明し、最後にこれからの社会をより良くしていくためにはどうすればいいかを考察します。その際にマルクスやハーバマス、柄谷行人の論を参考にしています。どれも一級の知識人の書いたものを参考にしていることから、解説する形で難易度を落としているとはいえ、やはり難しいです。

現代の多くの国家は民主主義で成り立っています。民主主義は投票で国民を代表する政治家が選ばれます。これがたてまえです。実際はマルクスの言うとおり、ある階層の人々は自らを代表できず、誰かに代表してもらうしかありません。だから今の貧困層を真に代表する政治家が現れず、結局は限られた選択肢の中から選ぶしかありません。民主主義は投票でもそうですが、個人の事情を考えません。誰の一票も平等に扱われます。政治家ですら個々の事情を反映せず、本当に国民の代表にはなっていないのが現状です。国は官僚が回しているものです。政治家を選ぶのは、国民が国を動かしているように見せかけるための手続きです。

国を動かすことは、公権力を持つことです。公権力には暴力性が含まれます。小さな政府として、政府の機能を必要最小限にすると警察、軍隊、外務省しか残らなくなり、かなり暴力性が高くなります。暴力性の高い国家が国民を幸せに出来るとは思えません。暴力性を低くすることが官僚の暴走を防ぐことになります。300ページほどの本書では込み入った話をまとまりよく書いています。しかし、今の新自由主義に乗って暴力性を追求している国家(官僚)の様子を見ていると、この問題を解決するにはそうとうの時間と根気が必要になのが分かります。