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レビュー 芥川賞

沖縄から離れない影

大城立裕(2011)『カクテルパーティ』岩波書店

やっぱり卑怯だ」小川氏が叫んだ。「そのような話にそらして、いま当面の話題からにげようとしている」 「そうですね」孫氏は、ほとんど涙ぐみながら、「ただ、あなたがたが当然考えるべくして考えてなかったことを言ったのだということも事実です。もちろん私が正しかったとはいいません」(本書 p.211)

亀甲墓、棒兵隊、ニライカナイの街、カクテル・パーティとその戯曲編の5部構成の、沖縄を舞台とした短編集。筆者も沖縄人なので、沖縄文学である。前半から後半にかけて、戦中から戦後へと時代は下っていくが、それでもなお沖縄戦や軍隊といった問題がずっと横たわる。はじめの2本は鉄の暴風雨といわれた沖縄戦のさなかの話で、名士といわれた人に野菜泥棒をさせたり、無辜の市民の犠牲を望む軍隊など、極限状態にまで追い込む戦争の無情さを描いている。

一番の見所は芥川賞を受賞したカクテル・パーティだろう。舞台は一見平和そうに見えるカクテル・パーティ。そこに中国語を話す仲間として軍属の米国人に中国人とともに招待された日本人。本人がカクテル・パーティに楽しく出席している間、娘は裏座敷を貸していた米国人とドライブに行き、襲われる。不公平な法の下、男は犯人を裁くため告訴を決意する。いっぽうで友好的なカクテル・パーティを行いながらも、やはりそこには乗り越えられない壁がある。40年以上前の小説だが、その壁はいまでも沖縄に存在し続ける。国、民族、法律、友人と複雑に絡まり合う関わり合いにどう折り合いを見つけていくのかは、読者にも一考を迫られる。

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やっぱり不明なポストモダン

ジャン=フランソワ・リオタール著, 小林康夫(1986)『ポスト・モダンの条件』書肆風の薔薇

よく言われてるのは、本書によってリオタールはポスト・モダンを形づけた。即ち、大きな物語の衰退と小さな物語への分化を語ったのだと。

知が知であるためには、正当化される必要があって、正当化のためには用いられる言表は学問分野によって変わってくる。即ち、社会学と量子科学では何が「発見」であるかの基準が違って来るということ。学問のタコつぼ化を語っているのだ。

かつて、未開社会では大きな物語の中に生きていて、人々は自らの自由を獲得するために知を適宜使っていた。研究機関とはそういう組織だったのに、いつの間にか知の正当化を追求する機関になってしまった。

そういうことを述べている点が評価されるんだけど、ルーマンとハーバーマスの議論をもとにそれを組み立てているのも、同じぐらい評価されるべき点だと思った。

今から読んだら古く感じる部分も多いけど、短いし、読んでおいて損はない本だと思う。

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一芸能がまとめあげた日本国民

兵藤裕己(2000)『“声”の国民国家・日本』NHK出版

仁侠・義侠のモラルと法制度とのあつれきを語る物語に、社会の埒外を生きる語り手のすがたを投影する。またそのようなアウトローの物語が、体制内の日常を生きる庶民大衆にカタルシスを与えてゆく。(本書 p.142)

文章語(文字言語)のロジックがメロディアスな声のなかで解体されるとでもいえようか。声によってひきおこされる聴衆の親和的な一体感や高揚感が、社会秩序や法制度のロジックにたいする合理的な感覚を麻痺させる。(本書 p.207)

大衆の知的前衛から大衆との心情的連帯へ、そうした路線転換がそのまま社会ファシスト化を意味したというところに、日本近代の大衆運動のアポリアが露呈していた。(本書 p.235)

とても面白い。今の時代、浪花節を聞いたことがある人はどれぐらいいるだろう。落語や漫才と同じく、声の芸能であった浪花節は、戦前は国が警戒し、いっぽうで国民国家の形成にまでいたったほどの力を持っていた。いまの落語や漫才が国民を統合する機能を担えるとは到底思えない。しかし、浪花節はその大役を担ったのだ。本書では浪花節がどのように誕生し、受容され、国民国家を形成するにまでいたったかを描いている。

近代日本が国家として成立したのは明治維新以降である。国家は領土と国民があってこそ存立する。国家が誕生した明治期に、どのように国民がまとまっていったのか。「声」すなわち浪花節という切り口からその過程が明らかになってくる。

昭和七年の調査では浪花節は民謡や落語、講談を抑えてリスナーの聴きたい番組一位を得ている。なぜ、そしてどのように人々は浪花節に熱狂したのか。

浪花節の誕生は江戸時代後期の江戸は芝新網町に求められる。明治になっても明治三大貧民窟だった新網町には、アウトローや芸者、浪人などの人々が暮らしていた。その中に願人坊主もいた。願人坊主とは、声音や浄瑠璃、弁舌などを往来で披露してお金をもらっていた人たちのこと。彼らが旅をして、全国各地に浪花節の源流となるチョボクレやチョンガレといった声の芸能が生まれる。彼らの取りまとめ役として、各地にやくざも生まれた。

誕生したての浪花節は人々の人気を得るも、すでに「伝統芸能」となっていた歌舞伎や落語からは下に見られ、同じ舞台に立たせてもらえなかった。だから彼らは辻や場末の演芸場で細々と歌っていたが、逆境にもかかわらず、人々は大いに浪花節を聞きに足を運んだ。それに警戒したのが警察だった。反国家的なことを言わないようにと、お目付け役の警官が浪花節の会場を監視するようになる。明治の初頭で、国にとっても無視できないほどの吸引力を、浪花節はすでに持っていた。

流れを決定づけたのが桃中軒雲右衛門と宮崎滔天だ。東京の浪花節組合と折り合いの悪かった雲右衛門たちは名古屋、大阪と西に移動し、最終的には九州に行く。日露戦争前後で兵隊の集まっていた九州では、彼らの浪花節は大いに受けた。それこそ、日本中が気になるほどに。そしていよいよ東京屈指の大劇場本郷座で公演するにいたった。

国民は彼らの声に熱狂し、語られる物語に陶酔した。

彼らの語る物語は、あだ討ちなどの法制度からは禁じられているが、義理人情の側面からは応援したくなるような物語である。聴衆は制度の中で蓄積された日ごろの鬱憤を、制度の埒外の物語に没入することによって晴らした。

それに目をつけたのが社会主義活動家だったが、彼らの声は大衆には届かなかった。大衆は心理的に連帯し、義理や人情で結び付けられる家族のアナロジー(類推)として、天皇陛下を頂点にいただく大きな家族としての国家に気持ちを向けていった。そうして天皇を「親」とし、国民をみな平等な「家族」と認識することによって異分子を排除する、日本的ファシストが生まれたのだった。そこに危うさを感じた柳田國男は、あえて民俗学の中に浪花節を入れなかったのではないかー筆者はそこまで想像する。

本書は浪花節が隆盛を極めたところで終わっている。なぜ戦後になってどんどん廃れていったのか。その過程は明らかにされていない。おそらくはテレビの普及とそれに伴う劇場の減少がかかわっているのだろう。行者必衰は世の定めだが、『キングの時代』で行われていたような退潮の分析もしてほしかった。

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グアムを通して日本人を知る試み

山口誠(2007)『グアムと日本人-戦争を埋立てた楽園』岩波書店

帰国後の横井氏をめぐる報道が過熱していくと、「生きていた英霊」横井氏は、時が経つにつれて説明不要な有名人「ヨコイさん」という固有名を獲得し、奇妙な言行で知られるキャラクターとして扱われるようになった。(本書 p.36)

ここで問題なのは、「日本人の楽園」とGuamの間のズレではない。ガイドブックとその轍が複数存在すれば、必ずズレは発生するだろう。ズレを橋渡しする回路がないまま、お互いに無関係な「グアム」とGuamが並存している現状が問題なのだ。(本書 p.155)

グアムに行く日本人は年間100万人に及ぶ。そんな身近なグアムと日本人の「関わり方の歴史」を書いたのが本書だ。戦時中は大宮島と呼ばれ、ほんの短い間だけ日本の統治下にあったグアムは、今はリゾート地として「消費」されるだけだ。それは近年始まった現象ではない。戦後二十数年しか経っていなかった1970年代には、すでに始まっていた。横井さんがジャングルの中、一人で戦争を継続していた同じ時期に、数十キロ先では日本人の新婚カップルが続々とハネムーンにやってきていた。

グアムにはスペイン統治時代を経て、アメリカ、日本、アメリカと宗主国が変わった歴史とともに、先住民族チャモロの人たちの暮らしなど、複雑な歴史を持つ。そんな中、なぜ日本人は歴史を見ずに、ショッピングとビーチのリゾートである「グアム」だけしか見なくなったのか。英語圏のガイドブックには歴史について書いてあるにもかかわらず。本書はそこに、グアムの観光開発の歴史(西のハワイ、新婚旅行のメッカ宮崎の延長)を見る。

本書ではグアムが政治的にまとまらない理由についても考察している。アメリカ人であるグアムの人々には連邦法により納税の義務等を課せられている。しかし大統領をはじめとする国政選挙権はない。それを要求する勢いも、逆に分離独立する勢いも、今のグアムは持っていない。それは周辺の島々(ロタ、テニアン、サイパンとミクロネシア連邦か?)やフィリピンから来た低賃金で過酷な仕事に従事する人々と、軍施設などで公務員として仕事をしているチャモロ人との間の軋轢があるため、団結する力より離反する力のほうが強いからだと説く。アメリカに差別的待遇を受けているグアムが周囲の島々を差別する。この構図は本土と沖縄と奄美と似ている。

本書はグアムについてもっと知りたい人には良い導きの手になる。日本語でここまで書かれた本は数少ない。ショッピングとビーチの楽しいリゾートという側面しか知らなかった人にとっては衝撃を与えるだろう。道路修復を優先されて再開されない博物館、グアムの中にすら存在する格差、誰も死なない(死ねない?)島。小さな本の中に、グアムの「暗部」とも言える根深い問題が見えてくる。

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聖書や古典で生き抜く力を身につける

中村うさぎ, 佐藤優(2013)『聖書を語る』文藝春秋

中村 あれ(筆者注:村上春樹『1Q84』)がヨーロッパでなぜウケると思うの?
佐藤 それはヨーロッパ人が抱えている物語不在の状況を、かなり等身大で表現しているからです。そんな成果が、ヨーロッパ的な伝統からうんと離れた日本でなぜ生まれたのか。それは村上春樹さんがヨーロッパの小説・学術文献をよく読んでいて、それが村上さんの思想にしっかりと受肉されているからでしょうね。(本書 p.86)

佐藤 (前略)考えてみれば、我々がタイムマシーンに乗って五百年前に帰ったら、適性とか市場とかいっても「何だ、そりゃ?」っていう感じになるわけですから。
中村 そう、一過性のものなんだ。
佐藤 ですから、五百年以上前の想像力を持つことができるかどうか。その想像力を持つことが出来るのは、文学を通じてしかないんです。(本書 p.163)

佐藤 ただ、人間はモノや概念には結集できないんですよ。やはり池田大作さんでないと創価学会はまとまらないし、大川隆法さんがいないと幸福の科学はまとまらない。(本書 p.186)

佐藤優と中村うさぎの対談。村上春樹から東日本大震災、福島の原発事故まで、世の中の「大事件」について対談している。二人ともキリスト教(プロテスタント)なので、必然的にキリスト教的な神の話題で盛り上がる。

二人からすれば、やはり3.11の東日本大震災は日本人にとって大きな意味を持っていたという。小さな事件の後には大きな、何か終末を予感させる事件が起こるという。チェルノブイリのあとのソビエト崩壊がそうだし、今回は原発事故だという。震災直後、政府が機能しなかったにもかかわらず、人々は互いに助けあい、東電の社員は被曝を覚悟しながら事故処理にあたった。こうした行動は近代経済学が前提とする「合理的」な人間にはあてはまらない。

人は合理性を超えたところで助け合わないと生きていけない。

口には出さないが、日本人はうすうすそのことに気がつき始めたのだ。農村の地縁や血縁でつながっていた前近代から、デカルトが「私」を発見し、拡大家族の核家族化にのような集団から個を重視するほうにシフトした近代、その流れが小さな集団から個人へと究極に小さくなっていき、個が孤になっていった現代。そんな閉塞感を持っていたときに起こった大地震で、人はやはり一人では生きていけないと悟ったのだ。

そこで佐藤は誰か母性的な人の下にみんなが集まることを提唱する。自然の力に勝てないとわかった以上、力で対抗するんじゃなくて状況に応じて柔軟に対応できるような形の生き方を考えるべきだ、と。

集団と個の考え方について、中村うさぎはエヴァンゲリオンの「人類補完計画」と村上春樹の『1Q84』を引き合いに出す。人類補完計画は集団に戻れという前近代的な発想だと思ったけど、それが投げかける問い(人はどのように生きるか)は非常に現代的だ。

二人の対談を読んでいても、伝統的宗教はやっぱり強いと思う。排他的ではないし、人が生きるということにまじめに向き合っている。宗教が怪しいかどうかを見極めるには、その団体の施設がアポなし訪問を受け入れてるかどうかを見ればいい、と聞いたことがあるが、そういう意味ではキリスト教は非常に間口が広い。

それと同時に、歴史を生き残ってきた分、やっぱり強い。古典の勉強を「何に役立つの?」と聞く人がいるが、それはナンセンスなのだ。いますぐ役立つ知識なんてすぐに役立たなくなる。三百年前はすぐに役立ったであろうわらじの編み方や「早飛脚をもっと早く使う五つの方法」なんていうのは、今となっては役立たない。しかし、何に役立つかわからない仏教や神道といった宗教は、いまだに当時の知識も使われる。人がどう生きるかについて考えるとき、制度や権力によらず、人間として生きるときに本当に重要なのは、すぐに役立たないように見えるが、人間の「変わらない部分」について考える基礎となる知識作りなのだ。

対談ではとりわけ、努力は報われるかどうかという話が面白かった。カルヴァン派(長老派)の佐藤は「神様のノートには生まれる前から選ばれた人の名前が書いてあるから、個人が努力してもしなくても結果は変わらない」という。個人の努力で世界が変えられるなんて、おこがましいと考えるからだ。一方、バプテスト派の中村は「そんなの納得できない!」と質問を浴びせる。佐藤は「納得できないからこそ(理屈を超えてるからこそ)、そこは信じるしかない」という。うまい答えだ。

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グローバル社会を生き抜く4つの選択肢

瀧本哲史(2011)『僕は君たちに武器を配りたい』講談社

発売以来すでに10年以上が経過しているが、あの本(筆者注『金持ち父さん貧乏父さん』を読み、書いてあることを実践して、「不労所得で大金持ちになることができた」という人の話を聞いたことはいまだない。(本書 p.6)

自分の信じる道が「正しい」と確信できるのであれば「出る杭」になることを厭うべきではない。本書で述べてきたように、人生ではリスクをとらないことこそが、大きなリスクとなるのである。(本書 p.289)

一歩進んだ自己啓発本。大体この手の本では佐藤優や勝間和代がスペシャリスト(マルクスのいう「熟練労働者」)になることを勧めるのに対し、本書ではスペシャリストすらグローバル化の中では生き残れないと喝破する。

ではどうすれば生き残れるか。著者は4つの選択肢を挙げるが、ここでは代表例として二つ挙げる。マーケッターとイノベーターだ。前者が市場のニーズを満たす人、後者が市場にニーズを作る人だ。

本書でも指摘されているが、資本主義の中で自由な活動をするにはベンチャー企業のほうがいい。だからこそ、有効求人倍率の低い大手企業ではなく、引く手あまたの中小企業にも目を向けることを著者は勧める。こういう本を読んでいつも気になるのは、結局著者だって東大助手からマッキンゼーと超大手を渡り歩いてきた人であることと、今の社会では資本家に使われる単純労働者だって一定数必要であることだ。

中小企業に入ってからのし上がってきた人たちから言わせて見れば、実態はもっとシビアなものではないのか。東大法から学士助手になるような、10000人に1人の逸材よりも、凡人の話こそ我々の心を打つのではないか。

また、「かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人」の言葉があるとおり、起業家やマーケッターになるのはいいが、そこには大多数の単純労働者や一般消費者が前提とされている。彼ら全員が起業家やマーケッターになるのは現実的ではないし、我々の何割かは常に単純労働者にならざるを得ないのだ。

結局、この手の本は選民思想が少し入っている。それがダメなわけではない。今の世の中ではどのような人生を歩むのも自由だ。ただ、夢への切符を提示すると同時に、夢破れたときのリスクをも明示するのが大人の態度であると思う。

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君には権力と対峙してまで守るべきものはあるか?

高橋和巳(1993)『邪宗門』朝日新聞出版

他者の犠牲にはならぬまでも、他者の苦悶を自分の心の痛みとして意識する存在でなければ、あらゆる理想主義的な計画は無意味なのだ。そして千葉潔は窮極のところ、それを信じることができなかったのだ。(本書下巻 p.270)

祈祷とは何か。それは愁嘆でも慰藉でもなく、僅かに残る可能性を、乾坤一擲、我がものとすべき法力を呼びさまそうとするものであるはずだ。祈祷は自己の宿命を断ち切り、歴史に非連続な局面を加える最後の手段である。(本書下巻 p.388)

「そう、その委任ということだ、つらいのは。君がね、この教団の開祖であり教祖であるのなら、いや率直に言ってしまえば、君が救霊会の人々と同じ信仰を持っているのなら、その委任には倫理性がある。だが……」 「マルクスもレーニンももともとプロレタリアートではなかったよ」(本書下巻 p.349)

芥川龍之介ではなく、高橋和己の邪宗門。これは京都府北部にある宗教「大本」が戦前に政府から受けた弾圧をもとに書かれた小説である。史実に基づくとはいえ、戦後の世直し運動などはフィクションらしいので、あくまでもそのあたりは誤解なきよう。

大本をモデルとしたひのもと救霊会は京都府北部の神部盆地に本部を構える新興宗教だ。家族の絆を第一に重んじ、ついで信徒の絆を重んじる。家族や教団など、小さな共同体の中での個人と個人のつながりに重きを置いている。そのため、個人の幸福を犠牲にして為政者の考えを実現させる国家とは折り合いが悪い。

新聞や機関誌を発行し、独自の工場まで持ち、信徒百万人を数えたひのもと救霊会に脅威を感じた国は言いがかりともいえる弾圧を加える。地元警察と特高警察が教祖をはじめとする幹部を逮捕し、本部を打ち壊してしまう。

散り散りになった信徒たちは、ある者は神部に残り、ある者は四国の巡礼に出かけ、ある者は大都市に出て個人単位でひっそりと布教活動を行った。救霊会の関東と九州の地方支部はそれぞれ独立を宣言し、国の御用宗教となって生き延びる道を選ぶ。しかし戦後、すべての価値観が逆転した。治安維持法違反として弾圧されていた救霊会だったが、法律自体が無効になったため、ほかの地方にある新興宗教や労働組合と手をとり、ここぞとばかりに巻き返しを図る…。

本書の中心は千葉潔という一人の少年だ。東北地方出身の彼は昭和の飢饉の際に親を失い、母親の肉を食べて生き延びた。母親が信じていた救霊会に保護を求め、孤児として幹部たちの寵愛を受けながら育つ。常に救霊会の中心部とつかず離れずの位置にいるのだが、幼少時に親を食べた彼は人間の浅ましい本性を知り、人間の美しさを認めえなくなっている。人間の美しさを称揚する救霊会の中心部にいて働きを期待され、彼もそれに応えようとするが、限界に突き当たる。

ネットの一部では、これはブラコン小説だとも評されている。この評も的を射ていて、結局はすべて身近な人への愛をいろいろな形で表しているのだ。宗教の教義や共産党革命にかかる思想的な描写には著者の知識が十分に発揮されていると同時に、インテリ独特の弱さや宗教人の強さも描かれている。冷戦当時に左翼インテリが主導する革命の危うさを描いた著者の感覚はどこで培われたのだろう。

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メディアから逃れられない我々

寄川条路編・大塚直ほか(2007)『メディア論-現代ドイツにおける知のパラダイム・シフト』御茶の水書房

学問の根本問題は言語だという時代に、言語学が成立した。(中略)かつて意識という現象が占めていた地位を言語が覆したが、今度はそれを媒介が覆して、言語から媒介へと重点が移ろうとしている。つまりこれが、言語からメディアへの転回である。(本書 p.8)

言語を認識の前提としてとらえるように、メディアを言語の前提としてとらえることができる。認識や言語を一つのメディアとして、メディア論へと引き戻すのである。(本書 p.8)

本書はおもにドイツにおいて、言語を含むメディアが思想史的にどのように位置づけられてきたかを論じている、見通しのよくなる本だ。かつて、神の啓示(それは自然の中にあると考えられてきた)をより確実に読み取るために、口伝が文字におこされ、誤字をなくすために印刷技術が発達した。そして現代においては、そうして作られた文書から自然に戻ろうという動きがパンクといった音楽や、前衛的な芸術に見えている。

結局は自然と文化の二元論に縛られ続けているんじゃないか、と見える。結局遺伝子技術によって神に飼育されていた人間は、自らを飼育者の立場へと移した。この現実にぶち当たって、「人間の特権」を前提としてきた人たちは行き場を失った。

これからどういうビジョンを描くのか、或いは小さな物語に逃げ続けるのか。我々はどこへ向かうのか。

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サントリー学芸賞 レビュー

アラブ、ペルシャ、スンニ、シーアを包み込むイスラム

小杉泰(1995)『現代中東とイスラーム政治』昭和堂

身体刑が主となっているのは、自由および共同体帰属を奪わざるべき基本的権利として、禁固等の自由刑を嫌うためであるし、その対象となる犯罪も、財産の不可侵性や社会の基礎単位としての家族といった基本的価値を犯すと考えられる犯罪である。その点を見るならば、イスラーム法の論理としては整合性を持っている(中略)しかしこのような身体刑の実施は非イスラーム世界では共感を呼ばないし、すでに「近代化」の進んだエジプトでは、こうした刑法をア・プリオリに非文明的で残酷であると見なす人々が存在する。(本書 p.247)

本書は今から見たら古い点もあるが、それでもなお、イスラーム諸国の現状について理解する手掛かりを与えてくれる。僕の中東体験はイランだけだけど、その時に感じた不思議が氷解した。それは「なぜイランには大統領がいるのに、ハメネイ師の写真の方が街中に多く飾ってあるのか」というもの。イスラームではコーランに書いてある規律が最重要視される。それを解釈して規則を創り出すのが一番偉い人で、イスラームの規律を世界に広めていくのが信者の役割となっている。だから、国家の運営者はあくまでもその解釈のもとに、現実世界で適用できるルールを作成し、運営していくのが仕事となる。だからアフマディネジャド大統領よりもハメネイ師の写真の方が圧倒的に多かったんだ。

イスラームには衰退する時期と復興する時期の大きな波があって、その波の一つとして現れたスンナ派のリダーというオピニオンリーダーが新たな解釈を切り開いて行ったダイナミックな時代のうねりを紹介するなど、本書は抑えるべきイスラーム社会の政治的、思想的に重要な史実を紹介してくれる。

一番面白かったのは第13章「現代中東諸国の国家類型」だった。それぞれを西洋化・近代化、民族主義、イスラーム復興という三つのベクトルを指標に類型化を図っている。今では無くなった南北イエメンやフセイン政権下のイラク、ムバーラク政権下のエジプトなど、少し古い点もあるが、たいへん参考になる。アラブ首長国連邦はいずれの独立したアラブ地域も連邦に入ることを妨げないと宣言していたり、実は選挙のあるイランの方が、選挙のないサウジアラビアよりもバリバリのイスラーム的主権論(成立した法律がイスラーム法に反しないかどうかを判断する機構まで備えている)だったりするなんて、知らなかった。

また、第15章で書かれている通り、イスラーム国家は周辺に波及する影響まで考慮して政治を行っているらしい。イラクがクウェートに侵攻してきたときはみんなさらっとサウジアラビアに逃げ込んだし、また、クウェートでは女性参政権を要求する声が強かったのに認めなかったのも、サウジアラビアに影響を及ぼすことが考慮されたとも言われているらしい。イスラム諸国では内政干渉と言われるようなことを平気でやりあっているらしく、西洋の枠組みにとらわれない国家のありかたがあることを思い知らされる。

本書のあちこちで書かれているが、イスラーム復興運動で王制を倒し、イスラーム国家を樹立したイラン革命ははやり当時としてはかなりのインパクトがあったようだ。上記のように、周辺諸国に影響を及ぼしやすい中東の政変は、世界から注目されただろう。しかし、著者の見方は異なる。

イランにおけるイスラーム革命は「二十世紀において宗教による革命が起きた」ことが尋常でないゆえに注目に値するというよりも、むしろ特筆すべきことは、イスラーム法が正当性を否定すると国家が存立基盤を掘り崩されるというこのモデルが、歴史的な有効性を超えて、現代でもなお機能することを示した点なのである。そして、イラン革命を領導したホメイニー理論の重要性は、このモデルを現代に再生させた点にある。(本書 p.21)

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サントリー学芸賞 レビュー

したたかな中国人の間でよりしたたかに生きるムスリム

中西竜也(2013)『中華と対話するイスラーム 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』京都大学学術出版会

中国と言うイスラーム世界の辺境において、イスラーム世界の中核から比較的孤立した状況のもとで、自らの進行を実践せねばならない苦労を背負いこむこととなった。(本書 p.3)

明の中頃まではペルシア語もアラビア語に劣らぬ尊厳を保持していたが、明末あたりから再イスラーム化の動きに合わせ、アラビア語の威信が著しく高まったことで、アラビア語とペルシア語の間に大きな格の違いが生じたのである。(本書 p.352)

中にコラムや写真、イスラームのお祈り方法までパラパラ漫画で書いてあって、面白い体裁をとる本書は中国のイスラームの思想や彼らと漢民族をはじめとするマジョリティとの関わりについて焦点を当てたもので、15世紀後半から19世紀を対象としている。中国に入ったイスラームは、婚姻を繰り返すことで、見た目による違いはほとんどなくなっていった。そして周りは儒教や道教、仏教などが主で、イスラームはマイノリティのままだった。本場のイスラームにはありえないような圧倒的マイノリティという逆境の中で、イスラームは生き残るべくしなやかに生きた。あるときはスーフィズム(神秘主義)を朱子学のアナロジーとして本を書いたり、またある時は漢訳版は簡略版にするといった配慮だ。マジョリティから攻撃を受けそうな箇所はあえてあいまいに訳してお茶を濁し、ムスリムの間で読まれるものについてのみ、本来のいいたいことを書いた。その中では中国のことを「戦争の家」とまで言っている。

本書は確かに、マイノリティの側から見たヘゲモニーとの応酬と見ることもできるが、中国の多様な一側面の理解に役立つ。軋轢を抱えた中での統治という社会体制がここ最近できたものではないことが分かる。さらに「宗教は人民のアヘン」とまで言ってはばからない社会主義体制になってから、より一層しめつけが厳しくなったことが予想される中国イスラームを取り巻く環境の中において、彼らがどうしたたかに、しなやかに生きているのかが気になった。続編もぜひ読みたい。


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