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東大教授が教える独学勉強法

これからは、自分の頭で考え、自分自身で判断する力をつけるための勉強が求められる時代になるのです。そして、そのための有効な手段の一つが「独学」だと私は思っています。

本書 p.22

学問に限らず、世の中のほとんどのことについて、何が正解なのかよくわかっていないのです。だから、仕事においても、生活においても、本当に重要なのは、正解のない問題にぶつかったときに、自分なりに答えを出そうとして考えていくことだと思うのです。

本書 p.28

本書は東京大学教授である柳川範之さんが自身の経験に基づいて書いた独学指南書です。柳川さんはシンガポールで義務教育(中学校)を、ブラジルで高校教育を、そしてまたシンガポールで大学教育(慶應義塾大学の通信教育課程)を受けた方で、その経歴のため独学歴も中学時代から始まっており、キャリアの長い方です。

本書では目標を細かく立てること、目標の3割に届けばいいとする、ということも書かれています。「自分に厳しくなりすぎないこと」が独学を続けるコツであるというのは、私も同感です。

本書は全体的にどうやって独学するかに重点が置かれていますが、独学のやり方は十人十色だと思うので、経験者の話として聞いておいて、このやり方が合わなかったら自分に合いそうなやり方を試すのがいいと思います。

本書では入門書を3冊買って合うのを選ぶよう勧めていますが、肝心の入門書の選び方については人に聞くのが一番と書いています。しかし、私のように人見知りでSNSの使い方も不得手な人間にとって、人に聞くのはハードルが高いです。その場合、片っ端から入門書を読んでいく、図書館で入門書全体にざっと目を通す、amazonやX(旧Twitter)の評判を読む、といった方法で選ぶのも一つの方法だと思います。

では、そもそも何を学べばいいかわからない人はどうしたらいいのでしょうか? 本書は学びたいことを決めた人が独学をするにあたっての指南書ですからそこまではほとんど書かれていません。まずは図書館や本屋で心がときめくものを手に取って、その分野を深堀りしていけばいいと思います。こんまりはときめかないものは捨てるべし、と言っていますが、その逆です。ときめくものを極めるべし。

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英国人が編集に100年かけた中世ラテン語辞書

「(前略)あなたが来るので日本語語源の英語について調べました。約五百ありましたね。地理的距離の割には多いと思います」

本書 p.170

英国にとって中世ラテン語は欠かすことのできない歴史の一部です。だから今回、辞書をつくった。経済的観点でプロジェクトを語ることに意味はないと思います。

本書 p.136

「文化に対する国家の考え方という点においてスケールの違いを感じます。日本の辞書づくりは私企業が事業としてやります。だから利益を出す必要がある。中世ラテン語の辞書は英国学士院によるプロジェクトですね。そうした体制がそもそも違います。日本では民間でやるのが伝統で、個人が意気に感じてやる。国語辞典の『言海』は、大槻文彦個人の著作、大漢和も『編』でなく『著』、諸橋轍次著です。一人の学者が最初から最後までやり遂げたんです。」

本書 p.215

本書は英国学士院が1913年に編集が始まり、2013年末に完成した『英国古文献における中世ラテン語辞書』(Dictionary of Medieval Latin from British Sources)の関係者を取材し、プロジェクトの開始から編集作業、完成までを取材しています。

ワードハンターと呼ばれる古い教会文書や公文書から単語を収集しては編集部に送り届けたボランティア、歴代編集者、英国学士院担当者、関連する辞書としてOEDや大修館書店の辞書担当者にまで取材する徹底ぶりです。

英国では学士院が国からお金をもらって辞書を編集しました。一方で日本では個人が出版社から依頼を受けて辞書を編集します。英国と違い、日本では採算を考えないと辞書は出せないのです。諸橋大漢和レベルになると話は違いますが、昨今の出版不況もあり、もう赤字覚悟で看板となる辞書を出そうという版元もないようです。

本書ではなぜ経済合理性がない辞書を英国人と英国自体が作り上げたのか、という問題意識のもとに取材が進められていきます。しかし、本来、国や大学が行う研究とは金になる「すぐに役立つ」というよりは「すぐに役立たない」けど「いつの日か役立つかもしれない」ものがメインであるべきではないでしょうか。

その点を考えると今回完成した中世ラテン語辞書は、百年かけて500ポンド(2023年9月段階のレートで9万2千円)で売るのですから、採算は取れません。しかし英国史研究者にとって必ず役立つものである、と断言できます。

著者には経済合理性を求める新自由主義的な考え方が見え隠れするほか、フランス語やスペイン語といったラテン語系の言語の知識、言語学の知識もなく、ワードハンターを言語収集者(単語または語彙収集者、としたほうが適切かと思います)と訳すなど、読んでいてこちらが不安になる側面もあります。毎日新聞の論説委員でもこの姿勢なのか、と愕然とします。

それを差し引いても英国滞在中に各地に取材に行き、インタビューを取ってきたのは巷間の学者やフリージャーナリストには(お金がかかりすぎて)難しいことだと思います。英国の辞書編集者や関係者の生の声が知れる、貴重な一冊であるといえます。

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保釈後も友情は続く-外務省のラスプーチンのそれから

本書は佐藤優が第38回 大宅壮一ノンフィクション賞と第5回 新潮ドキュメント賞を受賞した『自壊する帝国』の続編といえる自伝です。

著者は『自壊する帝国』の主人公であり友人であるアレクサンドル・ユリエビッチ・カザコフと保釈後に邂逅します。その過程を『自壊する帝国』を読まなくても本書を読んだだけでわかるように書いてあります。

佐藤優は最高裁で有罪判決を受けた後、保釈金を払って出所し、埼玉県の母のところに身を寄せます。その後、結婚して国立に住まいを移し、古本屋で1日千円を限度に本を買うことにして暮らします。

当時、外務省の後輩に「真実」を書き残す目的で書いた原稿を、たまたま外務省時代に知り合った編集者に見せたところ、商業出版として成り立つといわれ、『国家の罠』を上梓します。その後、『自壊する帝国』も上梓し、押しも押されもせぬ作家になります。

そんなある日、NHKの記者から電話がかかってきます。サンクトペテルブルクでサーシャと一緒にいる、との電話でした。残念ながら原稿を書いていて電話をすぐには受け取れなかった筆者は、サーシャの携帯番号を教えてもらい、久々に話し合います。

佐藤優はまだ保釈中の身で海外に行けませんでした。そのため、サーシャを日本に招待します。サーシャは日本で、靖国神社と広島に行きたいと希望します。そこでサーシャと佐藤優の、敗戦国における戦没者追悼について話し合います。

現在、サーシャはロシアでも有名なプーチンのブレインになっているようで、テレビにも毎週出演しているようです。サーシャの近影は以下のリンクにあります。

КАЗАКОВ Александр Юрьевич

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かつて代々木にあった、ロシア語がめきめき伸びる語学学校

ちょうどその頃、偶然にも言語学とチェコ語で有名な大学の先生と会う機会に恵まれた。わたしは早速、ロシア語を伸ばすにはどのような学校で学べばよいか尋ねてみた。
「だったらミール・ロシア語研究所」
先生は即答だった。

本書 p.7

その後も日本国内でさまざまな通訳の仕事をしたのだが、何人かと組んで仕事をするとき、わたしが同僚にミールで勉強していることを明かすと、相手は必ず一目置いてくれた。大学と違って通訳の世界では、ミールが一つのステータスだった。

本書 p.104

「ウダレーニエが弱いんです!」

何度発音してもウダレーニエの弱さを指摘される。ロシア語のウダレーニエ(アクセント)をしっかり発音する癖をつけるべく、何度もの発音練習から授業が始まる学校が、かつて東京の代々木にありました。

本書は言語学者でスラブ語学者である黒田龍之介が、自身のロシア語学習歴を振り返った本です。当時、代々木にあったミール・ロシア語研究所(1958年6月開校、2013年5月閉校)での厳しいロシア語学習経験の一端を明らかにしてくれています。

ある大学教師は「ミールの人って、みんな同じ発音だよね」と、小馬鹿にしたように語った。

本書 p.166

上記の通り、ミールでは「音を作る」と表現されていた、発音重視の教育がとられていました。理論ではなく、身体に叩き込む、体育会系の授業でした。

発音が終われば単語テスト、そして露文和訳、和文露訳が待っています。90分でこれをこなすとへとへとになるでしょうが、確実に身につくとも思います。

ミールには様々な人がいました。仕事帰りにロシア語を学んでいるお姉さん、ロシア語のものすごくできる同級生などです。のちにはNHKニュースの字幕を付けるバイトを教えてくれた人や、通訳になって中央アジアで活躍するようになった人もいます。

高校生だった黒田少年は大学を出るころには教える側になり、いつの間にか29歳になっていました。そのころにはロシア語を非常勤で教えるようになり、最終的には東京工業大学で専任教員として就職し、ミールに通うのをやめました。

こうしてみると、ロシア語のような国連公用語とはいえ比較的マイナーな言語でも素晴らしい学校があり、バイトや通訳などで学費が賄えるほど稼げる東京はうらやましいなと思います。

実際、黒田龍之介も父親である落語家の6代目柳亭燕路が亡くなってからは経済的にはある程度自立して、ロシア語で生計を立てていたようです。それは東京という特殊な地理的条件に加え、バブルという特殊な時代的条件が重なった幸運があったのかもしれません。

本書に書いてある、黒田龍之介にミールを勧めた「チェコ語で有名な大学の先生」は『言語学大辞典』を監修した千野栄一のことです。

黒田龍之介のロシア語学習については、以下のリンクに少し書かれています。本書の内容の一端が見える講演録です。

『ぼくたちの英語』刊行記念 黒田龍之助先生 講演会「ことばへの異常な愛情」講演録|三修社

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ロシアとウクライナの戦争で儲けるアメリカの軍需産業

佐藤 でも日本の現状を見ていると、プラモデルが好きで軍事評論家になったひと、アゼルバイジャンの地域研究者で、ロシアやウクライナを専門としない学者、極秘の公電に接触できない防衛研究所の研究者の論評が大半で、後世の評価に耐えるものは極めて少ないですね。

本書 p.138

手嶋 (前略)”ウクライナ戦争はアメリカが管理する戦争である”-この佐藤さんの見立てに僕も同意しますが、アメリカは初めから、そうした絵図を思い描いて臨んだわけではありません。結果として、始まった戦争に追随して、戦局を管理しているにすぎないと思います。

本書 p.193

2022年に始まって以来、1年以上も続いているロシアとウクライナの戦争について、インテリジェンスの専門家である佐藤優と手嶋龍一が自身のインテリジェンスルートを通じた情報をもとに対談をします。

二人の意見は一致して、今すぐ停戦交渉を行うべき、というものです。その経歴から、ロシア一辺倒と見える佐藤優も決して思い入れがあるからそう言っているわけではありません。ロシアのやったことは国際法違反の侵略行為です。ですが、国際社会に与える影響、ソ連時代から考えた場合の現在のウクライナの領土の正当性などを考えて、双方とも冷静になって停戦交渉をすることを呼びかけます。

ロシアが占領した原発を、自国兵士を危険にさらしてまで破壊するメリットはない、といった合理的で納得のいく分析もしています。

また、本書ではアメリカがウクライナに元軍人を送って訓練し、さらに大量の武器を提供して軍需産業が潤っている、自国民の血を流すことなくロシアを疲弊させ、目の上のたんこぶだったドイツ経済が麻痺していくことにも満足感を味わっている、と指摘されています。

戦争中の国々の情勢の読み方は非常に難しい、と二人とも口をそろえます。それはロシアとウクライナがお互いにプロパガンダ合戦をしていることに加え、アメリカではネオコンの影響下にある戦争研究所、なぜかプロパガンダが増えてきた英国のMI6の発表など、決して「中立的」な立場の発表はないからです。テレビに出ている専門家(東京大学のK講師など)のことも冷めた目で見ています。

私たちにできることは、世界各国のメディアなどからできるだけ多角的に情報を取り入れ、状況を注視し、一日も早い停戦が実現することを祈るのみです。

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KGBスパイの秘密は地道な記憶術にあった!

このトレーニングは毎日でも行うことができる。誰かの作業机を見てから、背を向けて机の上にあった物の位置をイメージするのだ。バスや電車なら向かいに座っている人を見て、目を閉じた状態でその絵をイメージすればよい。本棚を見てから、目をそらして本の順序を思い出すようにしても構わない。

本書 p.63

諜報部員の訓練には必ず外国語の勉強がある。諜報部員に選ばれるのは知能が優れているからこそであり、テクニックさえ習得すれば、どんな言語でも訛りなく流ちょうに話せるようになるのだ。

本書 p.159

本書ではあたかもフィクションの事件が起きた形をとってエージェントを勧誘し、そのエージェントの日記を読んで話が少しずつ進んでいきます。その中で一定のペースで様々な記憶テストが行われていきます。

例えばマッチ棒を投げてその散らばった形を覚えたり、さいころを振って出た目と方向を覚えたり、クロスワードパズルの塗ってあるマスを覚えたり…何の役にも立たないと思うかもしれませんが、単純な記憶術の繰り返しで記憶力は着実に身についていきます。

また、ストーリー記憶とイメージ記憶を用いて、出てきた単語を長く覚えるようにするなど、設定は古いですが、だからこそデジタルではなく、アナログな、人間の生(なま)の力に頼った記憶術を伝授してくれます。

人名を覚えるのはロシア人の名前なので難しいですが、それ以外は着実にこなしていけます。単純な方法だけど慣れるまでが難しい記憶術、身につけておくといつの日か何かの役に立つかもしれません。

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中国語を36歳から始めて4年で通訳になった名ガイド

本書は36歳から中国語を始めて40歳で通訳案内士になった長澤信子さんの自伝的語学学習記と、プロのガイドとしての体験談をまとめた書です。

台所から北京が見える』というタイトルから、てっきり北京に赴任した駐在妻が中国語を始めたのか、それなら現地で学ぶし時間もあるから上達も早いよな、と思ったら大間違いでした。

著者の長澤さんは自らの子どもが親の手を離れる年齢を親の定年として、その後の人生をどう生きるか考えます。読売新聞の投書欄で相談したところ(たぶんいまの「人生案内」のようなもの)、語学学習を勧められます。時代は日中国交正常化前、夫に相談すると中国は大事な国だから中国語がいいのではないかとアドバイスをもらい、中国語を始めます。当時こんな意見を出せた夫は慧眼の持ち主です。

インターネットも普及する前、中国語の聞き取りはラジオや教室の先生に読んでもらったものしかなく、テープレコーダーを家じゅうに4台置いてどこでも聞ける態勢を整えます。努力の甲斐あって見事40歳で通訳案内士の試験に合格します。

また、同時に自分の勉強代ぐらいは自分で稼ごうと准看護師の資格を取ったり、中退した大学を入りなおそうと和光大学に入ったりと、かなりバイタリティーにあふれる生き方をされた方です。

しかし、少し意地の悪い見方をすると、共働きが前提とされている今の時代と比べると、専業主婦で時間と体力を家事と好きなことに使えたのは正直、うらやましいと映ります。また、後半の旅行ガイドの苦心譚も、ほとんどが開放都市となった今の時代では苦労が伝わりづらいかもしれません。だけど莫高窟や陽関の壮大さはいまも見るべきものなのだろうな、と思います。

次、中国に訪れるのは2008年の北京オリンピックと決めていた著者ですが、その前年に亡くなりました。北京オリンピックで何を感じたか、聞いてみたかった気もします。

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国内に2000万人と言われる腎臓病患者(と予備軍)必読の書

佐藤 私が片岡先生とひじょうにうまくいったのは、「共同体」をしっかり作れたからだと思います。医療行為とはつまり、患者と医者の共同体を作ることです。だから最近よく使われる「患者様」という言い方は、共同体づくりを阻害する言葉だと思います。

本書 p.55

佐藤 大学病院勤務によっては若手医師で年収2~300万円、20年勤務していても4~500万円くらいというケースもあるのではないですか。

本書 p.158

片岡 個人病院の場合、院長が身銭を切ることがあるので、院長の実質年収が5~600万円ということもあるようです。

本書 p.164

本書は肥満腎症と闘病中の作家・佐藤優が主治医である片岡浩史医師との対談本です。佐藤優は若い時の無理がたたって肥満から腎臓病になったと理解しており、そのことを片岡医師に伝えます。片岡医師はその記憶力に圧倒されつつも専門家としての意見を述べ、二人でタッグを組んで病と闘っていきます。

現在の佐藤優の状況は最低でも週に3回、4時間の透析を受けている状態です。このままだと統計上の余命は8年ほどです。前立腺がんの手術をし、今は夫人からの腎移植手術を待っています。このような状況下で強靭な精神力を持って病と闘う姿は、同じ病で苦しんでいる人に勇気を与えるのではないでしょうか。

腎臓は一度線維化すると元に戻りません。残るは家族間の生体腎移植かドナー提供を受けるか人工透析です。片岡医師は「不摂生は自分の責任だから」と言って家族間の生体腎移植に乗り気でなかった佐藤をパターナリズム(父権的)に説き伏せます。知の巨人と言われ、おそらく医療の知識も相当程度以上に持っているであろう佐藤は、高度専門職である片岡医師の判断を尊重して同意します。最近ではネットで見た情報をうのみにする患者が増えているということですが、このような専門職に敬意を払う態度は見直されてもいいと思います。

本書では生活保護でも大学病院の治療が受けられる日本の医療体制のすばらしさが強調されると同時に、新自由主義が入り込んできて先はあまり暗くないこと、医師は死に勝てないので勝負としては負け続けであることなど、様々な話題を縦横無尽に語っています。今、病に苦しんでいなくても、いざという時のため、そして2000万人と言われる腎臓病患者の一人かもしれない自身のためにも読んでおくべき一冊です。

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アメリカのために行われた日本・イラン首脳会談

マシュハドに飛ぶ半年前、革命防衛隊と関係があるとして米国に制裁されているマハン航空の旧式のエアバスのバンコク便に搭乗したことがある。座席に座ってシートベルトを締めると客室乗務員がやって来て、前方のトイレは壊れていて使えないと言われた。トイレが壊れていても長距離便を運航してしまうというのはイランならではである。

本書 p.38

現役の外務省員は誰も前回一九七八年に行われた福田総理の公式訪問を知らないことになる。歓迎行事で感極まって涙を流して、あやうく一行からはぐれかけてしまった外務省員も出た。

本書 p.52

2019年6月12日、イランのテヘランで日本・イラン首脳会談が行われました。安倍首相とローハニ大統領が出席しました。日本の首相がイランを訪問するのは41年ぶり、革命後初めてのことでした。通常、総理の外国訪問は1年前に決まることもありますが、これは数週間前に決まったもので、当時駐イラン日本国全権特命大使を務めていた著者から見たそのロジ(後方支援)の大変さが描かれていて、大変興味深く読めました。

さらに興味深いのは外交の内容です。共同通信の伝えたところによると、米国の制裁で肝心の外貨の稼ぎ頭であった原油の輸出ができなくなっていたイランに、米国はある提案をします。それは日本を舞台にして、イラン産原油とアメリカ産のトウモロコシ・大豆を物々交換する内容でした。結局イラン側は「経済制裁解除が先」という原理原則を曲げず、この計画は頓挫してしまいます。

イラン側は安倍首相を歓迎し、西側指導者とめったに会わないとされる最高指導者のハメネイ師と面会します。しかし、外交儀礼に反することに、その様子はすべてビデオで撮影され、テレビで公開されてしまいました。

本書はタイトルでわかる通り、「イランは脅威ではない」というスタンスで書かれており、ある種のポジショントークであることは差っ引いて読まないといけません。駐イラン日本国大使を2年務めた著者が書くのですから、イラン寄りになってしまいます。しかし、日本の多くの読者はイランのことを多く知りません。その点で、日本の代表としてイランの内部を見た著者の経験はイランを知る一つのきっかけになると思います。本書ではアメリカとイランの相互不信の原点やその歴史なども詳しく書かれていて勉強になりました。

余談ですが私も著者が書いているマハン航空のバンコク便に乗ってテヘランに3度行ったことがあります。A300の旧型エアバスでしたが、無事テヘランに着くことができました。

マハン航空のA300。バンコクのスワンナプーム空港にて。
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世界に負ける日本型リーダー

半藤一利(2012)『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』文藝春秋

ともあれ、この西南戦争の勝利が明治政府と帝国陸海軍のリーダーシップに関する考え方を決定づけることになったのです。すなわち日本型リーダーシップの成立です。それはひと言でいって「参謀が大事だ」という考えです。総大将は戦いに疎くても参謀さえしっかりしていれば大丈夫、戦さには勝てる。

本書 p.47

組織にはあまりにも斬新な合理的に過ぎる正論は邪魔でしょうがないのです。せっかくみんながその気になっているときに、いきなり冷水をぶっかけて、それが採用されることはまず皆無です。それ以前にきちんと頭を下げて根回しをして、という手続きが必要なところなんです。(中略)それこそが日本型リーダーシップの残滓というものではないでしょうか。あるいは日本型たこつぼ社会における小集団主義といいかえていい。

本書 p.239

歴史探偵として昭和史を調べつくした作家の半藤一利が書いたリーダー論です。歴史探偵にとっては「余技」といったものでしょうか。口語体で書かれてあり、するすると読めます。当時齢82、おそらく口述筆記でしょう。

リーダーシップというのはもともと軍事用語(本書 p.16)であることから、どんなリーダーがいて、どのリーダーを範とすべきかは旧日本軍を見るとよくわかります。

引用の通り、旧日本軍は戊辰戦争での勝利の影響から、リーダーには優秀な参謀、補佐役がいることが大事だということになりました。それが日本型リーダーシップです。著者はリーダーを以下のタイプに分けてみていきます。

  1. 権限発揮せず責任もとらない…ほとんどの指揮官
  2. 権限発揮せず責任だけとる…南雲忠一海軍中将(ミッドウェイ海戦)
  3. 権限発揮して責任取らず…牟田口廉也(インパール作戦)

戦後になってわたくしは、小岩に住んでいた牟田口に何べんも会っています。訪ねていっても、どういうわけかうちには入れてくれません。いつも江戸川の堤までいって土手にすわって話すことになりました。話していると、かならず最後は「なぜオレがこんなに悪者にされなければならんのだッ」と激昂するのです。

本書 p.78

いかにも責任を取らないリーダーの典型、と言えます。でも一部には南雲中将のような名将もいました。

  1. 最大の仕事は決断にあり
  2. 明確な目標を示せ
  3. 焦点に位置せよ
  4. 情報は確実に捉えよ
  5. 規格化された理論にすがるな
  6. 部下には最大限の任務の遂行を求めよ

読めばわかりますが言うは易く行うは難し。決断はできても責任を取らなかった戦前の参謀みたいなリーダーも多いでしょう。私たちの身の回りを見て、ついそういうことを感じる人も多いのではないでしょうか。

世界に目を向ければプーチン、習近平、金正恩といったリーダーは決断はできますし部下に最大限の任務の遂行を求めています。しかし責任を取るかどうかはわかりません。ああいった国々では責任を取らされる前に命を取られる場合が往々にして多いですから…。