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写真に興味を持ち始めたら手にしよう

東京写真学園(2004)『「写真の学校」の教科書基礎編』雷鳥社

確かにズームレンズは便利であるが、被写体とのあいだを自分自身が動くこともせずに、安易にズーミングしてシャッターを切るやり方には感心できない。自分が納得できる撮影距離を確保しながら、その範囲内でズーム操作を行うべきである。(本書 p.89)

写真の学校の基礎編と書いてあるだけあって、本当に基礎から書いてある。シャッター速度やf値、レンズの特性や被写体深度など、一眼レフを使うためには最低限必要な知識が身に着く。

上記の例でも分かる通り、少し古いため、時代錯誤的な表現が出てくる。デジタル一眼レフカメラが主流となった今となってはフィルムのネガもポジも基礎で教える必要はないだろう。ズームレンズを批判しても、単焦点レンズでトリミングしたらいいのか、と言われてしまう。たった10年しか経ってないのにこの変わりよう。

読みやすいし作品例も豊富なので、少し興味ある人が知識をつけるのにはよい。

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歴史をつくった負け組みたち

山口昌男(2005)『「敗者」の精神史〈上・下〉』岩波書店

覚馬も結局は、公の世界に足を突っ込む権威高官の地位に身を置かないという意味では、敗者の立場を貫いたと言えるのかもしれない。覚馬なくば、京都は学問の府の位置を獲得することなく、影の薄い第二の奈良というにとどまったかも知れない。このような覚馬に対して与えられたのは、従五位という位であった。(本書上 p.319)

薩長閥を中心に原型が形成された、近代日本の単一階層分化社会による学歴・政治・経済の堅い組織が行きづまりを見せている今日、薩長閥的官僚機構から排除されるか、一歩外に出た人士が形成したネットワークは、人は何をもって他人とつながるかという点で示唆するものが極めて大きいと言わなければならないだろう。(本書下 pp.442-443)

歴史に残る負け組みたちの話である。もともとユリイカに連載されていたものだけあって、学術書っぽくはない。しかし、ここにこそ山口昌男の博覧強記ぶりがいかんなく発揮されている。

本書の言う敗者とは、明治維新後に賊軍となった幕府側の人たちを指す。政治的な配慮から、彼らは明治新政府で重用されず、公的に活躍する場は与えられなかった。

しかしそこは幕臣、優秀な人材も多かった。戊辰戦争で負けた会津藩出身の山本覚馬は同志社を作ったし、静岡に逃げた徳川家臣の一人、渋沢栄一は近代日本の土台を作った。

学問のヒエラルキーをつくる近代科学とは相いれない、学問の曼荼羅を形成する本草学をはじめとする江戸的学問を推し進めて、鳥居龍蔵や柳田国男に疎ましがられた山中共古など、公ではない私の世界で、政財界ではなく市井で存在感を示した人たちが多くいた。

実力ある人は一つの世界で重用されなくても、別の世界で活躍の場が見つかる。そして、ネットでつながった今こそ、あらたな活躍の方法があるのではないだろうか。著者は明治維新後に敗者がもう一つの日本をつくったのに、なぜ戦後はそれが起きなかったかいぶかしがるが、それは当然、明治維新では国内に勝者と敗者ができたが、第二次大戦では一億総敗者だったから、国内でヒエラルキーができなかったのだ。逆に格差社会の今こそ、負け組の巻き返しを図るタイミングだと言える。

この本の特徴として、引用が多いのが気になるが、ほとんどが古書店でしか手に入らない本からのものゆえ、それもやむなしなのかな。

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冒険上手な怠け者

森見登美彦(2013)『聖なる怠け者の冒険』朝日新聞出版

 記者は「あなたを何と呼べばよろしいですか?」と訊ねた。
怪人は胸を張ってこたえた。
「『ぽんぽこ仮面』と呼ばれることを希望する」
(本書 p.16)

2014年本屋大賞ノミネート作で、森見登美彦3年ぶりの長篇小説だ。舞台はやっぱり京都。怠け者が昼寝をしながら解決していく大冒険のお話だ。

ある日、京都の町に人助け専門の怪人が現れた。迷子の子供を助け、老人の荷物を持ってあげる、等身大の心優しさがある四畳半的怪人だ。その名を八兵衛明神の使い、ぽんぽこ仮面という。

ぽんぽこ仮面が突如、後継者として白羽の矢を立てたのが「人間である前に怠け者である」と堂々宣言し、土日は寝て過ごすことに忙しい小和田君だ。継げと迫るぽんぽこ仮面、面倒だと逃げる小和田君。

二人がたまたま入った無間蕎麦。一心不乱に蕎麦をすする客がぽんぽこ仮面を歓待してくれた。と思ったのもつかの間、店主が彼を捕まえにかかる。組み伏せて聞くと店主は命じられたのだという。命じたのは下鴨幽水荘というアパートを本拠地とする秘密結社だった。一人で彼らに敢然と立ち向かうぽんぽこ仮面、正義の味方よろしく組み伏せて聞くには「俺たちも命じられたのだ」。命令を発した閨房調査団、京都の商店街の人々みんながいっせいにぽんぽこ仮面を捕まえにかかる。「俺たちもこんなことしたくない」「命じられたから仕方ない」と口々にいいながら。指揮命令系統は複雑で何重にも絡み合い、重なりあう。本当の命令者は誰なのか。いったい何のために正義の味方ぽんぽこ仮面を狙うのか。窮地を見た小和田君は、内なる怠け者と折り合いをつけながらのっそりと立ち上がる…

本書は宵山の土曜日の一日の出来事を書いている。『有頂天家族』や『宵山万華鏡』と登場人物が重なり合う。神様と人間がともに暮らしている京都で、神様と人間の距離が一番近くなる祇園祭。人間らしい人間に神のような人間、人間のような神、そして人間以前に怠け者である小和田君。カオスな登場人物たちが混濁した世界を織り成していく。それを見た世界一怠け者の探偵である浦本探偵は「潮が充ちた」と評する。言いえて妙である。

筋金入りの怠け者と筋金入りの正義の味方。人から神に近づくと、ふしぎな世界が見えてくるのかもしれない。

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博物館だからこそ出るモノのアウラ

荒俣宏, 養老孟司, 黒田日出男, 西野嘉章(1998)『これは凄い東京大学コレクション』新潮社

西野 美しいものに打たれるっていう、感動がなきゃね。その昔、ウニの液浸標本。のアルコール液を飲んだ豪傑がいたらしいよ。まったりとした琥珀色の液をさ……。(本書 p.60)

実際のところ、東大構内のどこに、どのようあものが、どのようなかたちで、どれだけあるのか、その全体を把握できているわけでは決してない。文京区本郷のキャンパスは、首都東京のど真ん中にあるブラック・ボックスなのだ。(本書 p.118)

東京大学のそれぞれの博物館が持っている学術標本は合計600万点。国内450大学にある標本総数が推定で2500万点だから、そのすごさが分かるだろう。

トップの写真は田中芳男の『スルメ帖(するめじょう)』。その名の通り、魚拓ならぬ全国のスルメ拓を集めたものである。この田中芳男という人は元老院議員や貴族院議員も務めたエライ人なのだが、肩書以上のエラさがある。それは博物学者としてのエラさである。どれぐらいエライかというと、21世紀の我々にすら評価しづらいほどエライ。彼は手元に来たものを集めた。お菓子のラベル、役所の書類、鹿鳴館で開催された宴の招待状。その数なんと98冊。おそらくいまだすべて読破した人はいない、荒俣先生を除いては。

他にもやっぱりな内容としては鳥居龍蔵が妻と7カ月の娘を帯同して中国大陸で撮影した人類学写真コレクションや経済学部の古貨幣コレクション(日本銀行に次いで第2位の規模!)、噂だけは聞いていた医学部の刺青コレクションなんてのも紹介されている(こちらは写真はなし)。

荒俣先生と西野先生の対談は、当時特別展示が行われていた(らしい)安田講堂で行われている。液浸標本のガラス容器にウットリする荒俣先生、250kmのボーリング調査した土を保管した研究者の逸話を披露する西野先生。お二人とも博物学が好きなんだと明言はしてないが、文章からこぼれおちるように伝わってくる。

東京大学のコレクションですごいのは、1923年の関東大震災で学内の大半が灰燼に帰したにも関わらず、そこからこれだけの復興をしたところ。各国の大学に寄附を依頼するとともに、研究者も欧米に派遣した。徳川家からは紀州徳川家の蔵書が、イギリス学士院からは48部限定製作の稀覯本『ケルムスコット・チョーサー』まで送られた他、大森貝塚を見つけたマルセル・モースが遺言を書き変えて蔵書をすべて寄贈した。そのほかにもニホンオオカミのはく製や将軍の御用医の薬箱、鹿鳴館の会談から著名人の脳のホルマリン漬け、明治美男子写真集まで、薄い本で層の厚さを見せつける。

なぜこんなものが? これは一体なに? とフシギでヘンテコなものがいっぱいの本。一般人はおいそれと見に行けないものがこの一冊の中にある贅沢。何度も読み返してしまう本だ。

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国境線が無いまま700年。大国家ローマ帝国が30年で自壊した理由とは?

南川高志(2013)『新・ローマ帝国衰亡史』岩波書店

現代的観点からすれば、特定の民族にこだわらない寛大な措置と見えるかもしれないが、そもそもローマ人は「民族」という考え方を19世紀以降のような特殊な意味で理解していなかった。皇帝たちは彼らの実力を認め、重用した。「特別の事情」でもない限り、彼らを退ける理由はなかったのである。(本書 p.156)

ローマ帝国は外敵によって倒されたのではなく、自壊したというほうがより正確である。そのようにローマ帝国の衰亡を観察するとき、果たして国を成り立たせるものは何であるのか、はるか1600年の時を隔てた現代を生きる私たちも問われている、と改めて感じるのである。(本書 p.207)

ローマ帝国は紀元前3世紀から5世紀後半(476年)にかけてローマを中心に強大な力を誇った帝国である。その領地は現在のスペイン、イギリス、ドイツ、ギリシャ、トルコ、そして北アフリカにまで及ぶ。北欧などの一部を除いて、全欧州を手中に入れていた。

本書はローマ帝国が栄華を極めてから衰退していく過程を分かりやすく描いている。ローマ帝国はイタリアを統一したローマ人たちが領地をどんどん広げていった。

その際、彼らが行った方法は地元有力者と「共犯関係」を持つことだった。地元有力者をローマ軍に入れることにより、彼らをローマ人として扱ったのだ。いざというときローマ軍として戦ってくれたらいいだけだから、平時は割りと自由だった。軍隊は国境警備をせず、国境区域(ゾーン)を設けて、そこでの商取引を自由にさせた。

ローマ帝国で高い地位といえば、文官、武官や元老院議員がいる。当初、血統主義でエリートの地位が受け継がれていたが、家系が途絶えるとイタリアや属領の地方から有能な者をエリートに登用した。そんな空気があったからこそ、偏狭の地のドナウなどでも有能な者があればエリートに登用された。もともとローマ人でなかった者が司令官や皇帝になり、生まれながらのローマ人を率いた。

それほど、栄華を極めたローマ帝国は寛容だった。

ローマ帝国が斜陽を迎えたのは4世紀後半である。東からフン族の流入し、その地に住んでいたゴート人が隣接するローマ帝国の地方武官に助けを求める。迎え入れるほうは彼らに食料を提供するどころか、高値で売りつけ、こともあろうにゴート人の司令官の殺害まで企てる。ローマ人の対応に怒りを覚えたゴート人が、フン族とともにローマに攻め入った。そのとき、同時にブリテン島など他の地方でも蛮族の襲来を受け、対応しきれなくなったローマ帝国は一気に崩れてしまう。

本書を読む限り、ローマ帝国の自壊には多くの偶然が重なっていたようだ。皇帝の地位をめぐる内紛、東や北から偶然の同時多発的な蛮族の来襲。歴史にイフはないが、どれも少しずつタイミングがずれていれば対応できたかも知れない。

本書では自壊の原因の一つに寛容さの喪失を挙げる。かつてはローマ人として扱われた辺境の地の人たちも、ローマ人と同じ言葉を話し、格好をした。しかし後年、ローマ人として扱われても蛮族の格好をしたまま町を歩く人々が増えた。そこから、よそ者への目が厳しくなり、蛮族とローマ人の軋轢が深まっていった。筆者はこの軋轢こそが、ローマ帝国自壊への引き金になったと見る。

しかし、ここで疑問が出てくる。なぜ軋轢が生じたのか。辺境の人たちがローマ人の格好をしなくなったのは、ローマにそこまでの威光を感じなくなったからに違いない。なぜそこまで威光が落ちたのか。そこにローマ帝国自壊の序章があるのではないか。史料的な限界があるとはいえ、気になった。

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明日からクリエイティブになるために

鹿島茂(2003)『勝つための論文の書き方』文藝春秋

これまでに立てたことのないところに問いを立てるとしたら、その問いが果たしてトリビアルな問題ではなく、本質的な問題に届いているかどうか、リンゴの芯を切っているのかどうかということを検討しなければなりません。(本書 p.64)

論文というのは、自分の頭でものを考えるために長い年月にわたって練り上げられてきた古典的な形式なので、ビジネスだろうと政治だろうと、なんにでも応用がきくのです。(本書 p.231)

もっと若い時に読んでおけばよかった。いつ読んでもそう思うに違いない。

筆者はサントリー学芸賞受賞作でも最高に面白い『馬車が買いたい!』の筆者であり、無類の書評家にして古書と木口木版印刷本の蒐集家である。その一方、共立女子大(当時)で教鞭をとる教育者である。みんなが読みたくなる論文がどうすれば書けるようになるか。それをろくにフランス文学どころか小説の名に値するものすら読んだことない学部生に教える。そういう体裁で書かれてある。

ただ、中身は十代向けではない。そしておっしゃることはごもっとも。しかし行うは難し。

やるべきことは数少ない。よい論文はよい結論があるもの。よい結論のためにはよい大クエスチョンを用意する。よい大クエスチョンを上手に少しずつ解いていき、答えを出せばいい。

一番の難関はよい大クエスチョンを見つけること。そして解くためのツールを見つけること。そのツールは、大体みんなが手にしている。まだ気づいていないだけだ。その気付きを与えるため、著者は具体例をいくつも挙げて、果ては自分の名著『馬車が買いたい!』の発想法まで開陳して教えてくれる。

いい論文の書き方は、いい企画書、いい起業にも応用できる。そのカギは身近にあるが、明らかに年長者の方が有利だ。あとは気づくだけ。さあ、周りを見渡してみよう。

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メディアが世界を変えていく

フリードリヒ キットラー著, 石光泰夫, 石光輝子(2006)『グラモフォン・フィルム・タイプライター』筑摩書房

拍節とリズムをともなった(近代ヨーロッパの言語では韻も含む)抒情詩の起源には、口承文化という条件の下での技術的な問題とその解決ということが横たわっていた。(中略)こうした必要性がすべて消滅したのは、技術を用いて音響を保存することができるようになってからである。(本書上巻 p.193)

映画は人生を痕跡保存(証拠保全)に変えてしまう。ゲーテ時代に、真実が詩(文学)によって教養になり下がったようなものだ。だがメディアは冷酷だから芸術のように美化してはくれない。(本書下巻 p.55)

『銃・鉄・病原菌』に先立つ、三名詞タイトルシリーズの嚆矢。メディア論と言えば本書、マクルーハンの後継者と言えば本書と紹介されるぐらい有名な本。ただ、長い。必要以上に長い。

中身については面白い部分もある。グラモフォン(蓄音器)を使うことで人間は生の音データをすべて記録できるようになった。これまでは文字を書くしかなかったのに、その必要が無くなった。その音を遠くに飛ばすため無線機が発明された。大体こういう発明は軍事技術と相場が決まっているもので、当初は暗号通信に使おうとした。だけど無線機は暗号通信に向かなくて、遠く離れたところに声を伝えられることはできても、みんなが傍受してしまう。これを逆手にとってラジオが広まった。

フィルムに関しても同じで、生の動きを切り取って、再現して見せるフィルムができたというのに、結局人々はグラモフォンの技術と合わせて何を作ったかというと、前時代に作られた文学作品を映画にすることだった。

タイプライターについても同様で、当初は盲人が手紙を書くために医師が発明したものが、違う使われ方をしていった。目の悪かったニーチェあたりがまず使い始め、タイピストという職業が生まれ、世界が爆発的に「書くこと」に目覚めた。この結果、DSP(デジタル・シグナル・プロセッシング)が開始され、コンピュータの開発へと至った。

いつの時代も、メディアは発明者の目的通りに使われない。人々が使いたい手法で、かつ最大限の効用をもって、その真価を発揮する。

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番地と地番の違い、知ってる?

今尾恵介(2004)『住所と地名の大研究』新潮社

晴れ渡った秋空なのに、役人は外へ出るのではなく机上の地図を前に考える。よーし、この古臭くてわかりにくい町に、整然とした丁目や番地をつけてやろう、と。地図を前にした都市計画担当者は、もう王様の気分である。私はこのマチに秩序を与えるのだ。しかし机上で考えられた番号は、しばしば不便を引き起こす。

本書 p.251

なぜ住所はかくも複雑なのか。なぜ外国の住所はわかりやすいのか。そしてなぜ網走には番外地があるのか。こうした「なぜ」に答えをくれるのが本書だ。著者の住所と地名に対する情熱には恐れ入る。

これまで地名については、北海道のアイヌ語源の地名など言語学の分野で研究されてきた。それは人々がどのような意味をこめて地名を名づけたのかを研究しており、都市や国家といった体制(または権威)の地名の扱い方については扱ってこなかった。いや、言語学の範囲外だから扱えない。

本書はその空白を埋める労作だ。幕藩体制化の地名が明治の地租改正でどのように変えられたか、現代にいたるまでの変遷を明らかにしていく。その中で「欧米の住所表示は分かりやすい」といううわさが本当か試しに欧米に飛んで調査をし、なぜ日本と欧米でそのような違いが生じたのかを検討する。 日本の住所も一筋縄ではいかない。京都の独特の地名表示や同じ碁盤の目の都市である札幌の住所表示、なぜか番地の数が大きい長野県、番地の番号の振り方が独特な青森県十和田市、住居表示が独特な山形県東根市、激烈な町名変更が起きた名古屋市。総務省(旧自治省)は全国で統一的な運用を図ろうとするも、そうは行かないのが現実だ。規則と現実の折り合いをつけた結果、各地で例外が生じた。

その例外に、人間くさいドラマがある。

画一を目指す役人と、愛着と地域のつながりを町名に結びつける住人とのやり取りが、町名の変遷に現れている。最後は著者も自ら住んでいた日野市の字「下田」を残すべく奮闘努力するが、あえなく隣接する字「万願寺」に吸収されてしまう。が、同じく吸収されるはずだった字「石田」は当時のNHK大河ドラマ「新撰組!」で地元出身の土方歳三が注目されるからという高度な政治的判断で一転存続を許されることになる。地名には複雑な力学が絡む。出来る限り古い地名を大事にしよう、という著者の姿勢にはちょっと着いていけないところもあるが(言語学だと言葉が変わるのは当然のことだから)、違う世界が垣間見られて大変勉強になる。

欧米の住所表示をほめつつも、ぼくが知る限り2点の取りこぼしがある。1点は台湾の住所だ。著者も指摘してるとおり、台湾は日本統治時代につけられた日本的な地名を消すために、新たな地名がつけられた。そのため、全国の都市に中山路や中正路が生まれた。民権など、古くからの地名とは関係のない名称がつけられた。これは問題ではないのか。あともう1点は要望。バンコクの住所表示も分かりやすいことで有名なのでぜひ取り上げてほしかった。世界各地の北朝鮮大使館に行くのを趣味としている僕にとって、バンコクほど簡単にいけるところはなかった。タクシーの運転手さんに住所を見せたら迷わず着いた。

さて冒頭の問いの答え。番地と地番はともに土地につけられた番号で、ある一定の区画を区別するときに使う。番地は土地の上にある建物について、どこどこに所在するというときに使う。地番は土地そのものを示すときに使い、特に不動産取引などで使われる。これに加えて日本では住居表示という住まいを示すものもあり、三つのレイヤーがかぶさっている。あと、番外地は実は無番地と呼ばれるもので、民法上持ち主のいない土地(国有地)のことだ。だから刑務所、自衛隊基地や四ッ谷駅(これは江戸城の外堀だったから)なども無番地ってわけなのだ。(関連リンク:東京にある無番地(デイリーポータルZ))

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レビュー 芥川賞

沖縄から離れない影

大城立裕(2011)『カクテルパーティ』岩波書店

やっぱり卑怯だ」小川氏が叫んだ。「そのような話にそらして、いま当面の話題からにげようとしている」 「そうですね」孫氏は、ほとんど涙ぐみながら、「ただ、あなたがたが当然考えるべくして考えてなかったことを言ったのだということも事実です。もちろん私が正しかったとはいいません」(本書 p.211)

亀甲墓、棒兵隊、ニライカナイの街、カクテル・パーティとその戯曲編の5部構成の、沖縄を舞台とした短編集。筆者も沖縄人なので、沖縄文学である。前半から後半にかけて、戦中から戦後へと時代は下っていくが、それでもなお沖縄戦や軍隊といった問題がずっと横たわる。はじめの2本は鉄の暴風雨といわれた沖縄戦のさなかの話で、名士といわれた人に野菜泥棒をさせたり、無辜の市民の犠牲を望む軍隊など、極限状態にまで追い込む戦争の無情さを描いている。

一番の見所は芥川賞を受賞したカクテル・パーティだろう。舞台は一見平和そうに見えるカクテル・パーティ。そこに中国語を話す仲間として軍属の米国人に中国人とともに招待された日本人。本人がカクテル・パーティに楽しく出席している間、娘は裏座敷を貸していた米国人とドライブに行き、襲われる。不公平な法の下、男は犯人を裁くため告訴を決意する。いっぽうで友好的なカクテル・パーティを行いながらも、やはりそこには乗り越えられない壁がある。40年以上前の小説だが、その壁はいまでも沖縄に存在し続ける。国、民族、法律、友人と複雑に絡まり合う関わり合いにどう折り合いを見つけていくのかは、読者にも一考を迫られる。

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やっぱり不明なポストモダン

ジャン=フランソワ・リオタール著, 小林康夫(1986)『ポスト・モダンの条件』書肆風の薔薇

よく言われてるのは、本書によってリオタールはポスト・モダンを形づけた。即ち、大きな物語の衰退と小さな物語への分化を語ったのだと。

知が知であるためには、正当化される必要があって、正当化のためには用いられる言表は学問分野によって変わってくる。即ち、社会学と量子科学では何が「発見」であるかの基準が違って来るということ。学問のタコつぼ化を語っているのだ。

かつて、未開社会では大きな物語の中に生きていて、人々は自らの自由を獲得するために知を適宜使っていた。研究機関とはそういう組織だったのに、いつの間にか知の正当化を追求する機関になってしまった。

そういうことを述べている点が評価されるんだけど、ルーマンとハーバーマスの議論をもとにそれを組み立てているのも、同じぐらい評価されるべき点だと思った。

今から読んだら古く感じる部分も多いけど、短いし、読んでおいて損はない本だと思う。