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番地と地番の違い、知ってる?

今尾恵介(2004)『住所と地名の大研究』新潮社

晴れ渡った秋空なのに、役人は外へ出るのではなく机上の地図を前に考える。よーし、この古臭くてわかりにくい町に、整然とした丁目や番地をつけてやろう、と。地図を前にした都市計画担当者は、もう王様の気分である。私はこのマチに秩序を与えるのだ。しかし机上で考えられた番号は、しばしば不便を引き起こす。

本書 p.251

なぜ住所はかくも複雑なのか。なぜ外国の住所はわかりやすいのか。そしてなぜ網走には番外地があるのか。こうした「なぜ」に答えをくれるのが本書だ。著者の住所と地名に対する情熱には恐れ入る。

これまで地名については、北海道のアイヌ語源の地名など言語学の分野で研究されてきた。それは人々がどのような意味をこめて地名を名づけたのかを研究しており、都市や国家といった体制(または権威)の地名の扱い方については扱ってこなかった。いや、言語学の範囲外だから扱えない。

本書はその空白を埋める労作だ。幕藩体制化の地名が明治の地租改正でどのように変えられたか、現代にいたるまでの変遷を明らかにしていく。その中で「欧米の住所表示は分かりやすい」といううわさが本当か試しに欧米に飛んで調査をし、なぜ日本と欧米でそのような違いが生じたのかを検討する。 日本の住所も一筋縄ではいかない。京都の独特の地名表示や同じ碁盤の目の都市である札幌の住所表示、なぜか番地の数が大きい長野県、番地の番号の振り方が独特な青森県十和田市、住居表示が独特な山形県東根市、激烈な町名変更が起きた名古屋市。総務省(旧自治省)は全国で統一的な運用を図ろうとするも、そうは行かないのが現実だ。規則と現実の折り合いをつけた結果、各地で例外が生じた。

その例外に、人間くさいドラマがある。

画一を目指す役人と、愛着と地域のつながりを町名に結びつける住人とのやり取りが、町名の変遷に現れている。最後は著者も自ら住んでいた日野市の字「下田」を残すべく奮闘努力するが、あえなく隣接する字「万願寺」に吸収されてしまう。が、同じく吸収されるはずだった字「石田」は当時のNHK大河ドラマ「新撰組!」で地元出身の土方歳三が注目されるからという高度な政治的判断で一転存続を許されることになる。地名には複雑な力学が絡む。出来る限り古い地名を大事にしよう、という著者の姿勢にはちょっと着いていけないところもあるが(言語学だと言葉が変わるのは当然のことだから)、違う世界が垣間見られて大変勉強になる。

欧米の住所表示をほめつつも、ぼくが知る限り2点の取りこぼしがある。1点は台湾の住所だ。著者も指摘してるとおり、台湾は日本統治時代につけられた日本的な地名を消すために、新たな地名がつけられた。そのため、全国の都市に中山路や中正路が生まれた。民権など、古くからの地名とは関係のない名称がつけられた。これは問題ではないのか。あともう1点は要望。バンコクの住所表示も分かりやすいことで有名なのでぜひ取り上げてほしかった。世界各地の北朝鮮大使館に行くのを趣味としている僕にとって、バンコクほど簡単にいけるところはなかった。タクシーの運転手さんに住所を見せたら迷わず着いた。

さて冒頭の問いの答え。番地と地番はともに土地につけられた番号で、ある一定の区画を区別するときに使う。番地は土地の上にある建物について、どこどこに所在するというときに使う。地番は土地そのものを示すときに使い、特に不動産取引などで使われる。これに加えて日本では住居表示という住まいを示すものもあり、三つのレイヤーがかぶさっている。あと、番外地は実は無番地と呼ばれるもので、民法上持ち主のいない土地(国有地)のことだ。だから刑務所、自衛隊基地や四ッ谷駅(これは江戸城の外堀だったから)なども無番地ってわけなのだ。(関連リンク:東京にある無番地(デイリーポータルZ))

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レビュー 芥川賞

沖縄から離れない影

大城立裕(2011)『カクテルパーティ』岩波書店

やっぱり卑怯だ」小川氏が叫んだ。「そのような話にそらして、いま当面の話題からにげようとしている」 「そうですね」孫氏は、ほとんど涙ぐみながら、「ただ、あなたがたが当然考えるべくして考えてなかったことを言ったのだということも事実です。もちろん私が正しかったとはいいません」(本書 p.211)

亀甲墓、棒兵隊、ニライカナイの街、カクテル・パーティとその戯曲編の5部構成の、沖縄を舞台とした短編集。筆者も沖縄人なので、沖縄文学である。前半から後半にかけて、戦中から戦後へと時代は下っていくが、それでもなお沖縄戦や軍隊といった問題がずっと横たわる。はじめの2本は鉄の暴風雨といわれた沖縄戦のさなかの話で、名士といわれた人に野菜泥棒をさせたり、無辜の市民の犠牲を望む軍隊など、極限状態にまで追い込む戦争の無情さを描いている。

一番の見所は芥川賞を受賞したカクテル・パーティだろう。舞台は一見平和そうに見えるカクテル・パーティ。そこに中国語を話す仲間として軍属の米国人に中国人とともに招待された日本人。本人がカクテル・パーティに楽しく出席している間、娘は裏座敷を貸していた米国人とドライブに行き、襲われる。不公平な法の下、男は犯人を裁くため告訴を決意する。いっぽうで友好的なカクテル・パーティを行いながらも、やはりそこには乗り越えられない壁がある。40年以上前の小説だが、その壁はいまでも沖縄に存在し続ける。国、民族、法律、友人と複雑に絡まり合う関わり合いにどう折り合いを見つけていくのかは、読者にも一考を迫られる。

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やっぱり不明なポストモダン

ジャン=フランソワ・リオタール著, 小林康夫(1986)『ポスト・モダンの条件』書肆風の薔薇

よく言われてるのは、本書によってリオタールはポスト・モダンを形づけた。即ち、大きな物語の衰退と小さな物語への分化を語ったのだと。

知が知であるためには、正当化される必要があって、正当化のためには用いられる言表は学問分野によって変わってくる。即ち、社会学と量子科学では何が「発見」であるかの基準が違って来るということ。学問のタコつぼ化を語っているのだ。

かつて、未開社会では大きな物語の中に生きていて、人々は自らの自由を獲得するために知を適宜使っていた。研究機関とはそういう組織だったのに、いつの間にか知の正当化を追求する機関になってしまった。

そういうことを述べている点が評価されるんだけど、ルーマンとハーバーマスの議論をもとにそれを組み立てているのも、同じぐらい評価されるべき点だと思った。

今から読んだら古く感じる部分も多いけど、短いし、読んでおいて損はない本だと思う。

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一芸能がまとめあげた日本国民

兵藤裕己(2000)『“声”の国民国家・日本』NHK出版

仁侠・義侠のモラルと法制度とのあつれきを語る物語に、社会の埒外を生きる語り手のすがたを投影する。またそのようなアウトローの物語が、体制内の日常を生きる庶民大衆にカタルシスを与えてゆく。(本書 p.142)

文章語(文字言語)のロジックがメロディアスな声のなかで解体されるとでもいえようか。声によってひきおこされる聴衆の親和的な一体感や高揚感が、社会秩序や法制度のロジックにたいする合理的な感覚を麻痺させる。(本書 p.207)

大衆の知的前衛から大衆との心情的連帯へ、そうした路線転換がそのまま社会ファシスト化を意味したというところに、日本近代の大衆運動のアポリアが露呈していた。(本書 p.235)

とても面白い。今の時代、浪花節を聞いたことがある人はどれぐらいいるだろう。落語や漫才と同じく、声の芸能であった浪花節は、戦前は国が警戒し、いっぽうで国民国家の形成にまでいたったほどの力を持っていた。いまの落語や漫才が国民を統合する機能を担えるとは到底思えない。しかし、浪花節はその大役を担ったのだ。本書では浪花節がどのように誕生し、受容され、国民国家を形成するにまでいたったかを描いている。

近代日本が国家として成立したのは明治維新以降である。国家は領土と国民があってこそ存立する。国家が誕生した明治期に、どのように国民がまとまっていったのか。「声」すなわち浪花節という切り口からその過程が明らかになってくる。

昭和七年の調査では浪花節は民謡や落語、講談を抑えてリスナーの聴きたい番組一位を得ている。なぜ、そしてどのように人々は浪花節に熱狂したのか。

浪花節の誕生は江戸時代後期の江戸は芝新網町に求められる。明治になっても明治三大貧民窟だった新網町には、アウトローや芸者、浪人などの人々が暮らしていた。その中に願人坊主もいた。願人坊主とは、声音や浄瑠璃、弁舌などを往来で披露してお金をもらっていた人たちのこと。彼らが旅をして、全国各地に浪花節の源流となるチョボクレやチョンガレといった声の芸能が生まれる。彼らの取りまとめ役として、各地にやくざも生まれた。

誕生したての浪花節は人々の人気を得るも、すでに「伝統芸能」となっていた歌舞伎や落語からは下に見られ、同じ舞台に立たせてもらえなかった。だから彼らは辻や場末の演芸場で細々と歌っていたが、逆境にもかかわらず、人々は大いに浪花節を聞きに足を運んだ。それに警戒したのが警察だった。反国家的なことを言わないようにと、お目付け役の警官が浪花節の会場を監視するようになる。明治の初頭で、国にとっても無視できないほどの吸引力を、浪花節はすでに持っていた。

流れを決定づけたのが桃中軒雲右衛門と宮崎滔天だ。東京の浪花節組合と折り合いの悪かった雲右衛門たちは名古屋、大阪と西に移動し、最終的には九州に行く。日露戦争前後で兵隊の集まっていた九州では、彼らの浪花節は大いに受けた。それこそ、日本中が気になるほどに。そしていよいよ東京屈指の大劇場本郷座で公演するにいたった。

国民は彼らの声に熱狂し、語られる物語に陶酔した。

彼らの語る物語は、あだ討ちなどの法制度からは禁じられているが、義理人情の側面からは応援したくなるような物語である。聴衆は制度の中で蓄積された日ごろの鬱憤を、制度の埒外の物語に没入することによって晴らした。

それに目をつけたのが社会主義活動家だったが、彼らの声は大衆には届かなかった。大衆は心理的に連帯し、義理や人情で結び付けられる家族のアナロジー(類推)として、天皇陛下を頂点にいただく大きな家族としての国家に気持ちを向けていった。そうして天皇を「親」とし、国民をみな平等な「家族」と認識することによって異分子を排除する、日本的ファシストが生まれたのだった。そこに危うさを感じた柳田國男は、あえて民俗学の中に浪花節を入れなかったのではないかー筆者はそこまで想像する。

本書は浪花節が隆盛を極めたところで終わっている。なぜ戦後になってどんどん廃れていったのか。その過程は明らかにされていない。おそらくはテレビの普及とそれに伴う劇場の減少がかかわっているのだろう。行者必衰は世の定めだが、『キングの時代』で行われていたような退潮の分析もしてほしかった。

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グアムを通して日本人を知る試み

山口誠(2007)『グアムと日本人-戦争を埋立てた楽園』岩波書店

帰国後の横井氏をめぐる報道が過熱していくと、「生きていた英霊」横井氏は、時が経つにつれて説明不要な有名人「ヨコイさん」という固有名を獲得し、奇妙な言行で知られるキャラクターとして扱われるようになった。(本書 p.36)

ここで問題なのは、「日本人の楽園」とGuamの間のズレではない。ガイドブックとその轍が複数存在すれば、必ずズレは発生するだろう。ズレを橋渡しする回路がないまま、お互いに無関係な「グアム」とGuamが並存している現状が問題なのだ。(本書 p.155)

グアムに行く日本人は年間100万人に及ぶ。そんな身近なグアムと日本人の「関わり方の歴史」を書いたのが本書だ。戦時中は大宮島と呼ばれ、ほんの短い間だけ日本の統治下にあったグアムは、今はリゾート地として「消費」されるだけだ。それは近年始まった現象ではない。戦後二十数年しか経っていなかった1970年代には、すでに始まっていた。横井さんがジャングルの中、一人で戦争を継続していた同じ時期に、数十キロ先では日本人の新婚カップルが続々とハネムーンにやってきていた。

グアムにはスペイン統治時代を経て、アメリカ、日本、アメリカと宗主国が変わった歴史とともに、先住民族チャモロの人たちの暮らしなど、複雑な歴史を持つ。そんな中、なぜ日本人は歴史を見ずに、ショッピングとビーチのリゾートである「グアム」だけしか見なくなったのか。英語圏のガイドブックには歴史について書いてあるにもかかわらず。本書はそこに、グアムの観光開発の歴史(西のハワイ、新婚旅行のメッカ宮崎の延長)を見る。

本書ではグアムが政治的にまとまらない理由についても考察している。アメリカ人であるグアムの人々には連邦法により納税の義務等を課せられている。しかし大統領をはじめとする国政選挙権はない。それを要求する勢いも、逆に分離独立する勢いも、今のグアムは持っていない。それは周辺の島々(ロタ、テニアン、サイパンとミクロネシア連邦か?)やフィリピンから来た低賃金で過酷な仕事に従事する人々と、軍施設などで公務員として仕事をしているチャモロ人との間の軋轢があるため、団結する力より離反する力のほうが強いからだと説く。アメリカに差別的待遇を受けているグアムが周囲の島々を差別する。この構図は本土と沖縄と奄美と似ている。

本書はグアムについてもっと知りたい人には良い導きの手になる。日本語でここまで書かれた本は数少ない。ショッピングとビーチの楽しいリゾートという側面しか知らなかった人にとっては衝撃を与えるだろう。道路修復を優先されて再開されない博物館、グアムの中にすら存在する格差、誰も死なない(死ねない?)島。小さな本の中に、グアムの「暗部」とも言える根深い問題が見えてくる。

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聖書や古典で生き抜く力を身につける

中村うさぎ, 佐藤優(2013)『聖書を語る』文藝春秋

中村 あれ(筆者注:村上春樹『1Q84』)がヨーロッパでなぜウケると思うの?
佐藤 それはヨーロッパ人が抱えている物語不在の状況を、かなり等身大で表現しているからです。そんな成果が、ヨーロッパ的な伝統からうんと離れた日本でなぜ生まれたのか。それは村上春樹さんがヨーロッパの小説・学術文献をよく読んでいて、それが村上さんの思想にしっかりと受肉されているからでしょうね。(本書 p.86)

佐藤 (前略)考えてみれば、我々がタイムマシーンに乗って五百年前に帰ったら、適性とか市場とかいっても「何だ、そりゃ?」っていう感じになるわけですから。
中村 そう、一過性のものなんだ。
佐藤 ですから、五百年以上前の想像力を持つことができるかどうか。その想像力を持つことが出来るのは、文学を通じてしかないんです。(本書 p.163)

佐藤 ただ、人間はモノや概念には結集できないんですよ。やはり池田大作さんでないと創価学会はまとまらないし、大川隆法さんがいないと幸福の科学はまとまらない。(本書 p.186)

佐藤優と中村うさぎの対談。村上春樹から東日本大震災、福島の原発事故まで、世の中の「大事件」について対談している。二人ともキリスト教(プロテスタント)なので、必然的にキリスト教的な神の話題で盛り上がる。

二人からすれば、やはり3.11の東日本大震災は日本人にとって大きな意味を持っていたという。小さな事件の後には大きな、何か終末を予感させる事件が起こるという。チェルノブイリのあとのソビエト崩壊がそうだし、今回は原発事故だという。震災直後、政府が機能しなかったにもかかわらず、人々は互いに助けあい、東電の社員は被曝を覚悟しながら事故処理にあたった。こうした行動は近代経済学が前提とする「合理的」な人間にはあてはまらない。

人は合理性を超えたところで助け合わないと生きていけない。

口には出さないが、日本人はうすうすそのことに気がつき始めたのだ。農村の地縁や血縁でつながっていた前近代から、デカルトが「私」を発見し、拡大家族の核家族化にのような集団から個を重視するほうにシフトした近代、その流れが小さな集団から個人へと究極に小さくなっていき、個が孤になっていった現代。そんな閉塞感を持っていたときに起こった大地震で、人はやはり一人では生きていけないと悟ったのだ。

そこで佐藤は誰か母性的な人の下にみんなが集まることを提唱する。自然の力に勝てないとわかった以上、力で対抗するんじゃなくて状況に応じて柔軟に対応できるような形の生き方を考えるべきだ、と。

集団と個の考え方について、中村うさぎはエヴァンゲリオンの「人類補完計画」と村上春樹の『1Q84』を引き合いに出す。人類補完計画は集団に戻れという前近代的な発想だと思ったけど、それが投げかける問い(人はどのように生きるか)は非常に現代的だ。

二人の対談を読んでいても、伝統的宗教はやっぱり強いと思う。排他的ではないし、人が生きるということにまじめに向き合っている。宗教が怪しいかどうかを見極めるには、その団体の施設がアポなし訪問を受け入れてるかどうかを見ればいい、と聞いたことがあるが、そういう意味ではキリスト教は非常に間口が広い。

それと同時に、歴史を生き残ってきた分、やっぱり強い。古典の勉強を「何に役立つの?」と聞く人がいるが、それはナンセンスなのだ。いますぐ役立つ知識なんてすぐに役立たなくなる。三百年前はすぐに役立ったであろうわらじの編み方や「早飛脚をもっと早く使う五つの方法」なんていうのは、今となっては役立たない。しかし、何に役立つかわからない仏教や神道といった宗教は、いまだに当時の知識も使われる。人がどう生きるかについて考えるとき、制度や権力によらず、人間として生きるときに本当に重要なのは、すぐに役立たないように見えるが、人間の「変わらない部分」について考える基礎となる知識作りなのだ。

対談ではとりわけ、努力は報われるかどうかという話が面白かった。カルヴァン派(長老派)の佐藤は「神様のノートには生まれる前から選ばれた人の名前が書いてあるから、個人が努力してもしなくても結果は変わらない」という。個人の努力で世界が変えられるなんて、おこがましいと考えるからだ。一方、バプテスト派の中村は「そんなの納得できない!」と質問を浴びせる。佐藤は「納得できないからこそ(理屈を超えてるからこそ)、そこは信じるしかない」という。うまい答えだ。

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グローバル社会を生き抜く4つの選択肢

瀧本哲史(2011)『僕は君たちに武器を配りたい』講談社

発売以来すでに10年以上が経過しているが、あの本(筆者注『金持ち父さん貧乏父さん』を読み、書いてあることを実践して、「不労所得で大金持ちになることができた」という人の話を聞いたことはいまだない。(本書 p.6)

自分の信じる道が「正しい」と確信できるのであれば「出る杭」になることを厭うべきではない。本書で述べてきたように、人生ではリスクをとらないことこそが、大きなリスクとなるのである。(本書 p.289)

一歩進んだ自己啓発本。大体この手の本では佐藤優や勝間和代がスペシャリスト(マルクスのいう「熟練労働者」)になることを勧めるのに対し、本書ではスペシャリストすらグローバル化の中では生き残れないと喝破する。

ではどうすれば生き残れるか。著者は4つの選択肢を挙げるが、ここでは代表例として二つ挙げる。マーケッターとイノベーターだ。前者が市場のニーズを満たす人、後者が市場にニーズを作る人だ。

本書でも指摘されているが、資本主義の中で自由な活動をするにはベンチャー企業のほうがいい。だからこそ、有効求人倍率の低い大手企業ではなく、引く手あまたの中小企業にも目を向けることを著者は勧める。こういう本を読んでいつも気になるのは、結局著者だって東大助手からマッキンゼーと超大手を渡り歩いてきた人であることと、今の社会では資本家に使われる単純労働者だって一定数必要であることだ。

中小企業に入ってからのし上がってきた人たちから言わせて見れば、実態はもっとシビアなものではないのか。東大法から学士助手になるような、10000人に1人の逸材よりも、凡人の話こそ我々の心を打つのではないか。

また、「かごに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人」の言葉があるとおり、起業家やマーケッターになるのはいいが、そこには大多数の単純労働者や一般消費者が前提とされている。彼ら全員が起業家やマーケッターになるのは現実的ではないし、我々の何割かは常に単純労働者にならざるを得ないのだ。

結局、この手の本は選民思想が少し入っている。それがダメなわけではない。今の世の中ではどのような人生を歩むのも自由だ。ただ、夢への切符を提示すると同時に、夢破れたときのリスクをも明示するのが大人の態度であると思う。