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20世紀の夢は21世紀でもまだ夢か

荒俣宏(2000)『奇想の20世紀』NHK出版

ヘンな本かと思ったらNHK出版である。 荒俣宏である。テイストはちょっと変わってるけど中身はマトモに決まってる。実際マトモだった。奇妙な思想のコレクションという意味ではマリナ・ヤグェーロ(1990)『言語の夢想者』工作舎に軍配が上がる。

思想ではなく奇想なので、生き残らなかったマイナーな思想を取り上げている。メジャーどころとしてはパリ万国博覧会で最大瞬間風速を発揮したサン・シモン主義が挙げられる他、住まうための理想宮を建設しながら住まうところになりえなかった郵便配達夫のシュヴァルなど、独特の思想をもった20世紀の「巨人」たちが描かれている。

中でも丁寧に解説されていたのがデジタルの誕生だ。メディア学の良書と言われる『グラモフォン・フィルム・タイプライター』ではタイプライターがデジタルの端緒となった、あっさり書かれているが、それがどうデジタルにつながったか判然としなかった。本書では自動計算機にジャカード織機のパンチカードから応用したメモリーを搭載させ、チェスで人間を打ち負かせるコンピューターを夢想したプログラム式コンピューターの発明者、チャールズ・バベジの考えと業績が描かれている。荒俣宏がコンピューター関係の部署にいたこともあって、書きぶりは分かりやすく丁寧だ。

もちろんこれは19章からなる本書のほんの一部にすぎない。全体を通して、人々はファッション、自動車、飛行機、万博、新技術にどのように夢を託し、どのような未来を夢見たかが描かれている。

この本が20世紀最後の年に出たのがとても意味ありげだ。20世紀の思想大総括と言える。翻って我々はどんな夢を抱いているだろうか。21世紀版の夢想大総括は誰に、どのように書かれるのだろうか。

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市場戦略としての品種改良

藤原辰史(2012)『稲の大東亜共栄圏 帝国日本の<緑の革命>』吉川弘文館

品種改良という技術は、耕地整理、肥料の普及、農作業の機械化などによって構成される農業技術近代化のパッケージの一部にすぎず、これらの要素と密接に関連しており、それだけで稲作の生産力を上昇させることは当然できない。(本書 p.12)

やはり、導入に成功したという定評のある新技術でさえ、慣習的にも経済的にも生理的にも、どれほど違和感を持って受け入れられたかが明らかであろう。(本書 p.130)

本書は稲の品種改良を通じて、大日本帝国がどのような大東亜共栄圏を描こうとしたかに迫っている。

1934年、東北地方を中心に大飢饉が日本を襲った。腹が減っては戦はできぬ。食糧、なかんずく主食の供給が足りなくなるのは大東亜共栄圏建設を目指す大日本帝国にとってゆゆしき事態だった。

そこで政府はすでに影響下においていた満州のほか、統治下の朝鮮、台湾で米を作り、内地の需要を賄おうとした。

元来、タイやベトナムで食べられていることから分かる通り、コメとは南方の植物である。それを朝鮮や北海道といった寒冷地で育てるためには品種改良が必要だった。結果、冷害や病気に強く、収穫量も多い品種ができた。ただ、化学肥料を多くやらねばならなかった。

たとえば台湾の場合、内省人は甘藷といったイモ類とコメなど、さまざまな就職をもっていた。外省人の場合はインディカ米を食べていた。彼らには彼らの暮らし方があり、その中でコメが作られていた。だから日本のコメはビーフンに不向き、家畜の飼料にならないなどの理由で敬遠された。

ただ、在来種より有利な点があった。在来種より多くの化学肥料を与えると、とたんに多く収穫でき、多くの現金収入が入るのだ。結果、収入を求める農民は多くを肥料に投資し、多くの現金をえて、更に来年、また多くの肥料に投資する…といったサイクルに組み入れられ、これまでの暮らし方も当然変わっていった。

これは単に品種改良をしてよかったね、という話ではない。品種改良は地元の人々の暮らし方を変え、化学肥料企業を中心とした大経済圏に組み入れられることを意味する。こうした流れは終戦とともにいったんの終焉を見るが、農業の品種改良といった聞こえのいい帝国主義は、戦後も生き続け…

品種改良は単に味や収穫量だけで行われるのではない。その裏では企業の熾烈な戦いが繰り広げられている。

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これからのメディアを知るために

佐藤卓己(1998)『現代メディア史』岩波書店

書物は19世紀半ばすでに「旧いメディア」と見なされていた。大衆社会到来の400年前にメディアとして完成した書物が、大衆を前提としていないのは当然であった。(本書 p.43)

労働者文化の伝統があるヨーロッパと違って、アメリカの移民労働者たちは共同体的娯楽から切り離されていた。教養を必要としない映画鑑賞は識字能力の未熟な移民労働者や青少年にとっての格好の「安息の場」となった。(本書 p.102)

書物、ラジオ、テレビといったメディアがどのように発展してきたのかを日米英独の比較を通して描き出している。

ここ数百年、人は書物を古いメディアと言い続けてきたが、いまだに生き残っているし、それが駆逐されそうもない。いつの時代も書物は危機を喧伝されながら生き延びてきた。

注目に値するのは、国家と人々の関わりだろう。かつてのメディアはラジオにしろテレビにしろ、大きな資本力を必要としていた。そのため、国家主導で開発され、イデオロギーを浸透させるために使われた。戴冠式をテレビ中継した英国にせよ、ラジオで戦況を伝えていた日独にせよ、国は異なれどやっていたことは同じだ。

しかし一方、比較的少ない投資額で済んだ雑誌と映画は民間主導だった。それが国民に憩いの場、公共への参加の糸口、娯楽を与えたのだった。

テレビを最後に国家がけん引するメディアは終わった。ネットや携帯を使ったメディアの登場は、いよいよ大衆主導型メディア時代の幕を開けた。これからは国家に導かれるのではなく、大衆の興味や関心が世間を導く。ネットを見てると世間が分かる。かもしれない。